2020年11月18日

独居老人の生活2066(#39忘れられない旅の思い出:ソ連-3)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活2066
                  (#39忘れがたい旅の記憶:ソ連-3)


 16歳のとき、 「28歳」 と聞いたら、
 もうおばさんって思ってたでしょ?

 そして28歳の時、 「素晴らしき42歳」 をどう思ってた?
 そう、 42歳は素晴らしいの。

 それぞれの年齢に達するたび、
 あなたは理解し、 楽しむことができるわ。

                         ヘレン・ミラン (女優)


絵にも書けないような美しい風景を眺めて、
「ああ〜素晴らしい!」 と、 感動する。

でも生涯残る旅の記憶は、 思いがけない出来事にあると思う。
では昨日の続きをどうぞ!


我々10人の旅程を今一度見てみよう。

成田発 → モスクワ (列車)→ レニングラード → タシケント →
サマルカンド → ブハラ → ハバロフスク → 新潟着(解散)。


レニングラード(現サンクトペテルブルク)観光を終えた我々の次の目的地は、 中央アジアのタシケント。

現在はウズベキスタン共和国の首都になっている。

pict-タシケント.jpg
         ☝ 緑の地形がウズベキスタン。

1966年の地震により大半が壊滅し、 復興計画に基づいて再建された都市。 
中央アジアで初めての地下鉄があったが、 ジジイが乗る機会はなかった。

ちなみに1991年、 ソ連が崩壊して誕生したのが次の国々。
ロシアに加え、
ベラルーシ、 モルドバ、 アルメニア、 アゼルバイジャン、
カザフスタン、 ウズベキスタン、 タジキスタン、 キルギス、
トルクメニスタン、 グルジア、 ウクライナ。

              * *

サンクトペテルブルクからの移動は飛行機。
タシケント到着後、 その足でサマルカンドに移動(バス)してホテルにチェックイン。

pict-DSCN0549.jpg
     ☝ サマルカンドのホテルからジジイが撮影。


では、ウズベキスタン観光委員会制作のビデオをどうぞ。
       (2018年制作、 2分42秒)
                ☟
https://www.youtube.com/watch?v=jBJiWITuxVU&feature=youtu.be



タシケント市内で人気の観光スポットは無いに等しい。
観光客が目指すのはサマルカンド、 市域人口50万人(2015年現在)の古都。

pict-ブハラ旅行・ツアー.jpg



     サマルカンドの街。
pict-DSCN0553.jpg


     市場。
pict-DSCN0551.jpg



pict-DSCN0550.jpg



pict-DSCN0552.jpg



観光はお決まりのレギスタン広場、 ま、建造物の見物。

pict-DSCN0555.jpg
       ☝ 中央に突っ立っているのがジジイ。



pict-DSCN0554.jpg



    参加者10人、 みんなで記念写真。
pict-DSCN0556.jpg
                ☝
 後列左端がインツーリスのガイド、 同右端がジジイの上司。
 右端の横向きがジジイ、 日本人ガイド嬢がシャターを...

ちなみにインツーリストとは当時のソ連政府観光局(国営)のこと。
ここを頼らないとソ連旅行は非常に困難な時代、 ソ連崩壊後は株式会社となって現在に至る。


サマルカンドでは夜、 イルミネーションを凝らしたショーを見物。 

場所は同じレギスタン広場だったと思う。
印象が薄く、 あまりよく覚えていない。

サマルカンドの詳細はwikipediaで...
              ☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%89

              * *

サマルカンド観光の後、 我々はブハラへ行く。
移動は夜行列車で、 サマルカンド駅から乗り込んだ。

  pict-DSCN0557.jpg
               ☝
  会社の上司(48歳)とジジイ、 夜行列車に乗る間際。


寝台車はコンパートメントで1室4人(4ベッド)。
ジジイと上司は同じ部屋で、 寝台はともに上段。

下段には東ドイツから来たという50歳前後のオバさん2人。
ジジイが上段のベッドでウィスキーを飲んでいた。

ポケット瓶に付いている小さなプラスチックグラスで飲んでいたのだが、 ウィスキーをこぼしてしまった。

当然、 下段に流れ落ち、 ドイツ人のオバさんに平謝りした記憶が鮮明にある。

こんなくだらないことを覚えていて、 観光の思い出は薄い。 
ジジイの観光が如何にいい加減かが分かる。

車内に乗り込んですぐ、 日本人ガイド嬢がやって来た。

「コンパートメントは男3人で、 女性は私1人。
 幾らなんでも...車掌に言って変えて貰いました」

こんなのも記憶に残っている、 40年前のこと、 不思議な感じ。

             * *

ブハラはウズベキスタンの都市で、 ザラフシャン川下流域に古代より栄えたオアシス都市だ。

約220キロ東にサマルカンド、 450キロ北東にタシケントが位置している。

pict-かつての政治・文化の中心都市!ブハラ.jpg



ブハラ観光で印象に残っていることは余りない。
歴史的な建物の見物、 ジジイには関心度が低いのだ。

pict-お土産がかわいい!ブハラの街歩きで.jpg



それでも覚えているのがアルク城(要塞)の見学。
1920年、 ソビエト軍に襲撃されまで、 ブハラ・ハン国の歴代ハンの居城であった。
pict-ブハラの古代要塞アーク要塞.jpg

ブハラに何泊、 どんなホテルだったか、 全く覚えていない。

               * *

最後の訪問地ハバロフスクには飛行機で....
ここでは結構、 街中を歩くことができた。

pict-DSCN0500.jpg
     ☝ ここはハバロフスクの駅だったと思うが....
       中央に立つのはジジイ。



    印象に残ったのが正面に掲げられて写真。
pict-DSCN0503.jpg
      ☝ 当時のブレジネフ書記長かなあ。
        とにかく記憶があやふやで....



ネットで調べたら、 ハバロフスク空港へ向かう途中にあるリストビヤンカ村の市営墓地の中に日本人墓地がある。

その日本人墓地には320人が葬られているそうな。
ジジイたちが訪れたのはほぼ間違いなくこの墓地だと思う。

  pict-DSCN0502.jpg
  ☝ 非常に殺風景な墓地、 そんな印象が残っている。



   下はネットに出ていた現在の日本人墓地。
pict-ハバロフスクの日本人墓地.jpg


この墓地に2020年5月、 ハバロフスクで死去した元シベリア抑留者の田中猛さん(93)が埋葬された。

本人の遺志に基づいたもの。
田中さんは旧ソ連に約4年間抑留され、 1949年にようやく帰国。

1995年からハバロフスクに移住し日本語教師などを務めた。
    (source : 佐賀新聞)

               * *

ハバロフスク観光でジジイのソ連旅行は完了。
空路日本へ....新潟空港に無事到着した。

帰国の当日、 ツアーに参加した日本人女性たちが、 ソ連人ガイド(男性)にそれぞれ贈り物をしていた。

彼の名はアリョーシャ、 日本語がペラペラで人柄よく、 みんなから好かれていた。 加えてハンサム。

彼女らがそっと渡す光景を見ていて、 ジジイは嬉しくなった。
と言っても、 ジジイは何もプレゼントしなかったが....


最後に忘れられないソ連旅行の思い出がある。
それはツアーに1人で参加していた女性(30歳くらい)のこと。

pict-DSCN0545.jpg
    ☝ 手を挙げているジジイとツアー参加の女性。


自由時間などにはジジイと上司に加わり、 3人でよく見物。
帰国後も誘えば食事など、 必ず来てくれた。

彼女は都内にある大企業の社長秘書を務めていたからか、 話し方が丁寧で物腰も柔らか。

ジジイはたまに時間が空いた時、 彼女の会社に電話して誘い、
2人だけでも出かけた。

彼女はジジイが妻帯者だと知っていたが、 何ら意識せずに付き合ってくれた。
それはジジイに下心が全くなかったからだと思う。

そんなある日の夜、 新宿の居酒屋で食べていた時だ。

「わたし、 結婚することになりました」 とのビックリ報告。

相手は某大手自動車メーカー勤務の技術者だという。

「おー、 それは良かったね、
  Sさん(日本人ガイド嬢)も結婚したことだし...」

ジジイは祝福し、 こう言った。

「じゃあ、 今日が最後だね、 幸せになってよね」


彼女とは指1本触れたことがない清い関係(本当です)。
ガイド嬢といい、 ソ連旅行には人柄のいい女性が2人いた。

pict-DSCN7476.jpg
     ☝ 左から上司、 ジジイ、 秘書嬢、 ガイド嬢。
        (ホテルの部屋で飲みながら歓談)


元気なら彼女たち....






今、 70歳のお婆さん、 よき旅の思い出は忘れない。


チェンマイって ホントいいですね!




posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 11:29| Comment(6) | 旅の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月17日

独居老人の生活2065(#38忘れがたい旅の記憶:ソ連編-2)


  本日は昨日の続編です。


チェンマイ独居老人の華麗なる生活2065
                  (#38忘れがたい旅の記憶:ソ連-2)


 私たちはもはや奥地に進むことはできない。

 食料は底をつきはじめた。  とりわけビールが....

                   1620年メイフラワー号(米プリマスに到着した時)

メイフラワー号はビールを400樽も積み込んでいたが、 上陸時にはビールも底をついていた。
彼らはアメリカ大陸に初めてビールをもたらしたことで有名。

             * *

絵にも書けないような美しい風景を眺めて、
「ああ〜素晴らしい!」 と、 感動する。

でも生涯残る旅の記憶は、 思いがけない出来事にあると思う。
では昨日の続きをどうぞ!


モスクワで何泊したのか記憶にない。
モスクワについての説明はwikipediaをご参照願う。
               ☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF

なんせ40年ほど前のこと、 日記をつけていないので日程など詳細不明。
アルバムに残された写真を見て何かしら思い出す。

写真に添えたメモだけが地名などの具体的な事項になる。
あとは印象的なことしか記憶として蘇らない。


モスクワの次はサンクトペテルブルク(当時の地名はレニングラード)に移動。

pict-北海道とサンクトペテルブルク.jpg
           ☝ サンクトペテルブルクの街。


我々(ツアー客10人とガイド2人)はレニングラードスキー駅へと向かった。  モスクワから4〜5時間の列車の旅。

ソ連では、 列車の行先の都市が駅名に使われており、 モスクワにあってレニングラードスキー。

東京にあって大阪駅とはこれ如何に..って感じ。

この列車の移動で思い出にあるのは唯1つ。
乗車して数時間後、 ジジイは気分が悪くなったのだ。

車内がとても暑く、 息苦しさを覚えて胸がムカムカ、 とにかく調子が悪い。

当時、 車内は禁煙でなかったはず、 空気が悪かったのかも...
弱ったなと思いながら車窓から外を眺め、 我慢していたらサンクトペテルブルク駅に到着した。

下車してプラットホームを歩く。
新鮮な冷気がジジイを回復させた、 気分が晴れたというのか、 スッキリしてきたのだ。

「ああよかった!」 そう心の中で叫んだことが忘れられない。

               * *

サンクトペテルブルクの目玉はご存じエルミタージュ美術館。
勿論我々一行も案内された。

pict-エルミタージュ美術館.jpg
           ☝ 写真は旅行案内から拝借。


今でもはっきり覚えているのは、 美術館に到着した時、 大勢の人が並んで待っていた。

開館の時間前だったのだろう。
こりゃあ入場するまで相当待つことになるな...そう思った。

ところがオヨヨ、 我々は待っている人々を尻目に...
特権階級なのか、 待たずにサァーと館内に案内された。

pict-エルミタージュ美術館3.jpg
           ☝ 写真は旅行案内より拝借。


なんか申し訳ない気持ちだが、 ソ連インツーリストの力を実感。
こういう特別扱いは他の場所でも色々あった。

その1つのエピソードがサンクトペテルブルク空港でのこと。
我々一行は搭乗口で並んで待つ乗客より優先、 トップで機内に乗り込んだ。

ジジイがこのとき発したのが次の言葉。

「座席は ”First class” じゃないけど、 速い ”Fast class” だね」

周りがこんな駄ジャレに笑ってくれた。

              * *

サンクトペテルブルクで強く印象に残ったのは次の風景。
場所はどこだったか、 冬宮殿前の広場だったような。
                 ☟
pict-DSCN0540.jpg
                 ☝
  ソ連共産党のお歴々の写真が建物に掲げられていたこと。
  何か記念行事でもあったのだと思う。



    このデカい写真はレーニンだと思う。
pict-DSCN0541.jpg
                  ☝
      現在、 このような写真は外されているはず。

              * *

サンクトペテルブルク観光ではここにも行った。
「アレクサンドル ネフスキー修道院」 だ。

修道院の敷地内には墓地があり、 作家ドストエフスキーや作曲家チャイコフスキーが眠っている。

pict-DSCN7480.jpg
        ☝ 修道院に向け歩いて行く日本人一行。



pict-DSCN7481.jpg



    敷地内にある墓地。
pict-DSCN0544.jpg



pict-DSCN0543.jpg
         ☝ 中央に立っているのがジジイ。



40年前のサンクトペテルブルクの風景をどうぞ。

pict-DSCN0539.jpg



pict-DSCN0542.jpg



pict-DSCN7479.jpg
               ☝ ジジイです。


詳細説明はwikipedia(ココ)でどうぞ。

                * *

サンクトペテルブルクで初めて外のレストランで夕食をとった....記憶にある。

隣席にスペイン人のグループがいた、 これは明確に覚えている。
何故かって?  ジジイ好みの美女が1人いたからだ。

外のレストランで食べた記憶は他にないので、 ソ連旅行中で最初で最後の機会だったかもしれない。

とにかく夕食はホテル内のレストランばかり。
どのホテルも同じような料理で、 全く変わり映えがしない。

1度だけ、 出されたハンバーグを食べたら中が温かくない。
半生だった、 クレームをつけず、 食いさしのまま残しておいた。

もう1つ、 これはソ連旅行全般にわたっての食事だが...
これが最も記憶に残るソ連の思い出となる。

ビールが非常に不味い、 ジジイでも飲めないようなビール。
とにかく昼食/夕食、 ビールなしでジジイは本当に困った。

帰国 → 到着した新潟ではすぐにビールを飲んだ。
実に旨かった、 ソ連のビールとは天と地の差。

40年前のこと、 今はロシアでも美味しいビールがあると思う。

結局ソ連旅行中、 最初の食事の時に一口だけ、 その後ビールは一切口にしなかった。

ジジイはあちこち旅行したが、 後にも先にも全てビール無しの食事はソ連のみ。

ビール好きのジジイ、 ではどうやって凌いだか。






白ワインをがぶ飲みしていた。        (続きます)


チェンマイって ホントいいですね!




posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 10:44| Comment(2) | 旅の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月16日

独居老人の生活2064(#37忘れがたい旅の記憶:ソ連編)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活2064
                  (#37忘れがたい旅の記憶:ソ連編)


 冒険は年齢には関係はない。

 冒険がない人生ほど無味乾燥なものはない。

                               新田次郎 (作家)


絵にも書けないような美しい風景を眺めて、
「ああ〜素晴らしい!」 と、 感動する。

でも生涯残る旅の記憶は、 思いがけない出来事にあると思う。

独居老人の 「忘れがたい旅の思い出・Top‐10」 をシリーズで
お届けしております。  本日はそのTop‐5です。 

             * *

ジジイがソ連を旅したのは今から40年ほど前、 34,5歳の頃。
5月のゴールデンウイークを利用、 旅程は2週間だったと記憶する。

その頃はソ連を自由に1人旅することは難しい時代、 「日ソ旅行社」 主催のツアーに参加した。

旅行代金は約45万円、 当時の貨幣価値からすると高額。
しかしそれには航空券、 ホテル、 食事、 観光など全てが含まれている。
他に出費があるとすれば酒代と土産代くらいか。

ジジイは会社の上司(当時48歳)と一緒に参加、 ツアー客は全て日本人で合計10人。

日本から女性添乗員(ロシア語堪能)、 ソ連に入ると旅程最後までソ連インツーリストの男性ガイド(日本語堪能)の計2名が同行。

              * *

で、我々がを訪れた都市はというと、

成田発 → モスクワ → レニングラード → タシケント →
サマルカンド → ブハラ → ハバロフスク → 新潟着(解散)。

pict-旧ソビエト.jpg


搭乗したのはアエロフロート、 モスクワ行き直行便。
成田空港を何時に離陸したのか記憶にないが、 モスクワ到着は確か朝方だった。

で、 「ホテル・メトロポール モスクワ」 で2時間ほど休憩。
我々10人は2部屋に別れて身体を休めた。

尚、 モスクワでの宿泊は 「ホテル コスモス」、 メトロポールよりもずっと安いホテルだ。

              * *

モスクワ観光で記憶に残るのはまず 「赤の広場」と「クレムリン」。

pict-DSCN0547.jpg
     ☝ 赤の広場で、 40年ほど前のジジイです。



フョードル・アレクセーエフの描いた赤の広場(1802年)
                  ☟
pict-フョードル・アレクセーエフの描いた赤の広場(1802年).jpg




      日本人のガイド嬢(30歳くらい)
pict-DSCN7472.jpg
      ☝ 背景はモスクワ大学、 霞んで見えません。



あとはその頃、 「国民経済達成博覧会」 というイベントがあって、 そこに連れて行かれた。

   pict-DSCN7469.jpg



pict-DSCN7474.jpg



pict-DSCN0546.jpg



pict-DSCN7473.jpg


夜の観光はというと、 ホテルのレストランで夕食が終われば何もなし。
これじゃジジイは面白くない。

で、1人で外出、 乗ってみたかった地下鉄駅へ...
記憶では英語の表示はなかった、 全てロシア語、 それでも何となく分かる。

ジジイは適当に切符を買う、 但し行先の当てはない。

駅のエスカレーターがとにかく長く、 動き(スピード)が速い。

pict-とても長いエスカレーター.jpg



加えてプラットホームなど、 劇場のような造りで驚嘆。

pict-DSCN0559.jpg


どれだけの駅を通過したか、 何故その駅で下車したのかも覚えていない。 とにかく表に出た。

そこは賑やかな通りで、 ブラブラ歩いていたら大きな劇場に出くわした。
入り口はオープン、見るとロビーはワイングラスを傾ける人々で賑わっている。

ジジイはホテルくらいの感覚で中に入る。
そしてグラスワインを購入、 飲みながらモスクワの夜の社交を観察。

しばらくすると観客がぞろぞろ場内に入って行く。
ジジイも釣られて中に入り、 1番後ろに立って様子を見ていると...

クラシック音楽のコンサートが始まる模様。
これはいけないと思い、 慌てて飛び出した。

モスクワの夜をぶらついたといっても、 この程度の記憶しかない。
バーとかカフェに出くわしていたら、 おそらく店に入って雰囲気を楽しんだであろう。

今になって思えば、 よくもまあ1人で夜、 地下鉄に乗って出かけたもの。
やはり若さと好奇心がジジイの心を掻き立てたのだと思う。

グループツアーとして、 ガイドがモスクワの観光名所に連れて行ってくれた。

しかし印象深いのは、 どうってことない地下鉄と飛び込んだ劇場。

そこにはちょっとした....




冒険心があったからだろう。       (続きます)


チェンマイって ホントいいですね!



posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 09:17| Comment(4) | 旅の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする