2018年02月22日

独居老人の生活1120(#25忘れられない旅の思い出:娘の結婚式・後編)


  今日はオーストラリアの旅の後編です。

  前編を未読の方は、 #1198(2月20日掲載)から
  先にお読み戴きたく.....

                 * *


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1120
        (#25忘れられない旅の思い出:娘の結婚式・後編)


  金のために結婚するものは悪い人間であり、

  恋のために結婚するのは愚かな人間である。

                            サミュエル・ジョンソン (イングランドの文学者)
                

ゴールドコーストのサーファーズパラダイスに宿をとったジジイは、 1泊しただけで別のホテルに移った。

2万円もする高級ホテルにジジイ1人が泊まるのはバカバカしい。

ガイドブック掲載のBudget Hotelといわれる安ホテルに徒歩で移動、 6千円/泊(相当)でチェックイン。

ジジイが寝る部屋は4人部屋(2段ベッド2つ)だが、 ジジイ1人が専有するため当然宿賃は高くなる(4人で割れば1,500円/人)。


そのホテルは2階建て、 普通の住居を改造したようだ。
その界隈は閑静な住宅街で、向こう三軒両隣は民家だった。

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        ☝ イメージ画像。


ジジイの部屋は1階、 ドアを開けると広いリビングルーム。
その奥にはキッチンがあり、 朝食くらいなら作れる感じ。


部屋の中のトイレを見て驚いた。
タオルもなければ石鹸・シャンプーも用意されていない。

これではシャワーも浴びられない。
結局、 A家族のいるコンドーに行ってバスタブに入り、 洗髪までする羽目に....

洗顔などのためにAからタオルを借用、 ホテルに持ち帰った。

前日の高級ホテルから石鹸もタオルも置いてない部屋に.....
ふと少し惨めな気持ちになった。
  
               * *

さあ、 いよいよAの娘の挙式の日がやって来た。

約束の時刻にAのコンドーに行くと、 娘は既にウェディングドレス姿、 部屋の中で美容師に髪を結って貰っていた。

孕んではいるが、 腹はさほど膨らんではいない。
「綺麗になってるね」 とジジイはお世辞を言う。


コンドーからの出発時刻になり、 表に出ると車が待機していた。

pict-DSCN0873.jpg
               ☝ イメージ画像。


                  * *


A家族にジジイを含む6人が乗ったリムジンは20分近く走り、 挙式会場のヒルトンホテル・リゾートに到着。

牧師か神父かは知らないが、 教会で誓いの言葉。
ジジイが立会人としてチャララと署名、 実にいい加減。

花嫁と父親のAが腕を組み、 バージンロードを歩く姿を見てジジイは笑ってしまう。

神妙な顔つきのA、 胸中は複雑であったろう。
加えて孕んでいる娘が歩いてもバージンロードとはこれ如何に。


結婚式が終わればお次は披露宴、 というよりランチパーティーか。

新郎側からは肉親の参加なし、 牧場で働く同僚たちが出席。
新婦側からは我々の他に、 娘が勤務する会社から上司や同僚が参列。

オーストラリアにおけるオール日本人参集の披露宴となる。

pict-DSCN0901結婚式集合.jpg
                  ☝
左端がジジイ、 前列左からAの長男、 妻、 花婿・花嫁、 A。



宿泊したコンドー、 リムジン、 挙式・パーティーなど全ての費用はAの懐から出る。
孕んでいようが可愛い娘だ、 懐が痛んでも我慢の父親。

結婚式は愉しく盛り上がって無事終了。


pict-DSCN0904.jpg
                 ☝ 
  挙式のホテル庭園で...ジジイ(61)とAの奥さん(56)。


我々6人はまたリムジンに乗車、 ゴールドコーストへ....
参列者たちはブリスベーンへと帰って行った。

                * *


ゴールドコーストでジジイはA家族と別れ、 そのあと1人でオーストラリアの旅を続ける。
pict-pict-thJEKH46EF地図.jpg



ブリスベーンに2泊した後、 メルボルン → パースと周り帰国した。

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            ☝ メルボルン市内。




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          ☝ パースにて(2006年6月)。


航空券(成田〜ブリスベーン)を購入する時、 一緒に他の空港へのチケットも申し込んだ。

その時1万円アップでプラス2空港に飛べるというサービスを知り、 上記の2都市を選んだ次第。 飛行機はカンタス航空。

                 * *


では、 忘れられない旅の記憶とは何か?

それはジジイが石鹸もタオルもない安ホテルから外に出た時だ。

何気なく遠くを眺めると、 そこにはA家族の泊まる高層コンドーがくっきり見えた。


pict-thOPGC1P0Qコンドー全景.jpg


彼らは地上50数階の部屋で優雅に寝泊まりしている。


昔観た映画の1シーンがジジイの脳裏に浮かんだ。

                   ☟

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                  ☝ 
この写真だけで作品名を思い出された皆さまは相当な映画通。




そう、 黒澤明監督のこの大ヒット作品。

               ☟



pict-pict-img_0ポスター.jpg     


ゴールドコーストの忘れられない記憶、 それは











 天国と地獄.....とにかくこの世はカネ次第。


チェンマイって ホントいいですね!

  <後記>
その後、 Aの娘夫婦は日本に戻り、 今は2児の親に....
現在、地方都市で共働き、 夫婦円満、 幸せに暮らしております。





posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 11:32| Comment(3) | 旅の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月20日

独居老人の生活1118(#24忘れられない旅の思い出:娘の結婚式・前編)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1118
        (#24忘れられない旅の思い出:娘の結婚式・前編)


 人は自分の子供に対してほとんど影響力を持っていない。

 人間の性格は生得のもので、 我々にはどうしようもない。

                                アンドレ・モーロワ(フランスの作家)


絵にも書けないような美しい風景を眺めて、
「ああ〜素晴らしい!」 と、 感動する。

でも生涯残る旅の記憶は、 思いがけない出来事にあると思う。

独居老人の 「忘れがたい旅の思い出・Top‐10」 をシリーズで
お届けしております。
本日はその番外編‐34(Top‐34)です。 
           


ジジイが初めてオーストラリアの地を踏んだのは2006年6月15日で61歳の時。

それもひょんなことから旅することになる。


ジジイの高校時代からの親友A(現在72歳)は大の飛行機嫌い。
当然、 1度も乗ったことがない。

ところがAの娘がオーストラリアで結婚式を挙げるという。
Aはその結婚にも反対しており、 オレは出席しないと強い態度。

娘が既に孕んでおり、 それだけでも不機嫌。
おまけに大嫌いな飛行機に乗らなきゃならない。


ジジイと飲めば、 出るは愚痴ばかり。
結局、 奥さんに説得され渋々飛ぶことになった。

「オレは病気になって入院したいよ」 としきりにこぼす。

で、ジジイが言う。

 「俺は1度も行ったことがないんだ。
  いい機会だ、 一緒にオーストラリアに行こうぜ」

              * *

出発日(夜行便)、 A家族と成田空港で待ち合わせ。
現れたAは既に酔っていた。

「酔わなきゃ怖くて乗れないよ、 付き合え、 おまえも飲め」

で、 搭乗前に先ずビールで乾杯。

Aは機内でもずっとウイスキー飲んでいた。
ジジイもウイスキーを飲み、 その内酔いが回って爆睡。

Aはウトウトしかできなかったという。

               * *

飛行機は翌朝、 目的地ブリスベーンに到着。


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娘の婿さんは日本人、 共にワーキング・ホリデーで現地暮らし。
ここブリスベーンで2人は知り合い → 妊娠 → 結婚に....

A家族は娘夫婦の迎えの車に乗り、 宿泊先のゴールドコーストへ。 このあと彼らはゴルフに行くという。

Aと別れたジジイは電車に乗り、 同じくゴールドコーストに移動。

乗車中に尿意を催し、 仕方なく途中下車。
辺鄙な駅で、 30分ほど次の電車を待った記憶がある。


ゴールドコースト到着、 予約のホテルにチェックイン。
サーファーズパラダイスにある高級ホテルだ。

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           ☝ サーファーズパラダイス。


2万円/泊近い料金だったが、 初めての街でのホテル探しは面倒、
日本で予約しておいた。

風呂に入り → 早めのランチでビール → 昼寝。

夕食はA家族と一緒に...奥さんが手料理を振る舞ってくれた。
Aが食べられるのは和食だけ、 他は食えないという。

奥さんが日本から持ち込んだ食材を入国係官が見つけ、 10分ほどすったもんだしたが、 今では笑い話。

しかしオーストラリアは検疫が厳しいので要注意。
日本の米だって見つかればストップがかかる。

                * *

A家族が泊まる高級コンドーは寝室3部屋、 リビング、 バス・トイレが2つ、 大きなキッチン付きなのだ。

ジジイのホテルから徒歩5分ほどの近い距離。

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 ☝ A家族は高層の部屋、 見晴らし抜群。


ここにA夫婦、 娘夫婦、 Aの長男の5人で利用。
ブリスベーンに住む娘が予約しておいた。

1泊6万円近いが、 6人で泊まれば1人1万円。
カネは全て親の支払いだ。

娘はかって東京の一流ホテルに勤務、 カネに糸目をつけないとあらば、 ホテル探しはお手の物。


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 ☝ ジジイ(61歳)とAの奥さん(56)、 コンドーの台所で...


               * *


挙式は翌々日、 1日暇があるということで、 Aは 「乗馬に行こう」 と誘う。

で、翌朝、 A家族(婿さん含む5人)とジジイは迎えのミニバスに乗って乗馬観光へと出かける。

料金はランチ込みで、 確か12,000円/人だったと思う。


乗馬場の経営は日本人のオヤジ。
そのオヤジの指導で、 先ず馬の乗り方を教わる。

 そしていよいよお馬に乗ってお散歩。
pict-DSCN0903乗馬.jpg
          ☝ 左端がジジイ。


ジジイはかってケンタッキー(米国)暮らしの時、 何度も乗馬を楽しんだ。

ジジイが1人、 草原を疾走するほどに上達。
ゴールドコーストでの乗馬は安全第一で、 ジジイにとっては物足りない。

それ以上に退屈したであろう...婿さんだ。
彼のオーストラリアでの仕事は牧場の馬丁兼調教助手で、 度々
馬にも乗っている。

それでもそんな経験はおくびにも出さず、 黙って指導を受け、 言われるままに乗っていた。

この婿さんの態度にジジイは感心、 敬意を払う。
収入は少ないが、 人柄のいい青年ではないか。


両親は共に娘の結婚に反対、 収入だの学歴だのと....

「こんな素晴らしい青年はいないぞ」 とジジイは褒める。

  「冗談じゃない、 娘を孕ませやがって!」

「お前の娘が股を開いたからだよ」 とジジイ。

「そもそもお前ら親の教育が悪い。
 子供の時からお金が一番大切だと教えておかなかったからだ」

年寄りはこんな話で侃々諤々の議論。

これがオーストラリア、 ゴールドコーストでの思い出。


しかしジジイにとって、 最も忘れられない旅の思い出は.....
この一言。

乗馬を終えて一息入れた時だ。
1頭の馬が我々の目の前で、 ジャージャー長い小便。

これを見たAの奥さんが感嘆の声をあげる。



「馬のおチンチンって、 あんなに大きいのネ!」











 亭主のと比べちゃ...いけませんわ。


チェンマイって ホントいいですね!





posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 12:14| Comment(4) | 旅の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

独居老人の生活1045 (#23忘れられない旅の思い出:招かざる客)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1045
               (忘れがたい旅の記憶‐23:招かざる客)


 名誉と独立を好む国民はすべて、 自国の平和と安全は

 自分自身の剣によることを意識すべきである。

                                   ビスマルク (ドイツの政治家)


絵にも書けないような美しい風景を眺めて、
「ああ〜素晴らしい!」 と、 感動する。

でも生涯残る旅の記憶は、 思いがけない出来事にあると思う。

独居老人の 「忘れがたい旅の思い出・Top‐10」 をシリーズで
お届けしております。
本日はその番外編‐33(Top‐33)です。   

                  * *

ジジイがペシャワールに行ったのは38歳の時だったか。
てことは今から34年前ってことになる。

5月の連休を利用しての旅、 11日間程度だったような.....
ペシャワールといえばアフガニスタンとのパキスタン国境の街。  


pict-ペシャワール.jpg       
         ☝ 白の矢印がペシャワール。


当時治安もよく、 昼夜にわたって普通に街を見て歩いた。
夜といっても酒場があるわけでもなく、 カフェで茶を飲む程度。


では33年前のペシャワール、 街の風景をご覧ください。

  38歳頃のジジイが写ってます。
pict-DSCN0581ペシャワール.jpg




  なんか埃っぽい街という印象が残っている。
pict-DSCN0583.jpg




当時のジジイはメタボにあらず。  懐かしい!

pict-DSCN0582.jpg




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では、 ペシャワールの忘れられない旅の思い出といえば.....

アフガンとの国境にあるのがカイバル峠。
ジジイはその峠を越えたわけではない。

アフガン難民が峠を越え、 パキスタンにやって来たのだ。

   pict-現在のカイバル峠.jpg


最初にアフガン難民が問題になったのは、 1979年12月のソ連軍によるアフガニスタン侵攻の頃。

最初に60万人の難民が発生し、 1990年までにパキスタンに330万人が押し寄せた。

欧米は難民支援のため、 1979年から約20年間で10億ドル以上の資金を提供したという。

で当時、 既にパキスタンにはアフガン難民キャンプがあった。
ジジイはそこを見学.....いや物見遊山で訪れた。

                   ☟

pict-DSCN0585ペシャワール・アフガン難民キャンプ.jpg
         ☝ 中央がまだ若かった頃のジジイ。
           生まれて初めて見た難民キャンプ。

難民の人々も暇だったようで、 ジジイたち一行(11人)を興味深く眺めていた。

当時からジジイは社会主義、 共産主義が大嫌い。
ベトナムのボートピープルは、 社会主義・北ベトナム勝利の産物。

日本のマスコミ・進歩的文化人が平和、平等と喧伝していた社会主義。  そのソ連の侵略が、 このアフガン難民を生み出した。


朝日新聞の記者や文化人はこのキャンプに来て、 1年間、飯炊きでもやって助けてみろ....ジジイは難民を見ながらそう思った。

これがペシャワール、 忘れられない旅の記憶である。

                * *

難民は何もアフガニスタンだけとは限らない。
ご存知の通り、 欧州を目指すアラブ難民は引きも切らず。

そしてアジアでは今、 この人たちだ。

  ロヒンギャ難民。          (ニューズウィークより)
pict-ロヒンギャがタイに大量流入.jpg
        ☝ 大勢が船に乗って押しかける。


運よく辿り着いても、 自分たちの国、 安寧の場所があるでもなし。
難民キャンプのように1ヵ所に収容され、 その日の食い物を貰って糊口を凌ぐ。

並んで食料を待つロヒンギャの難民たち。

pict-DSCN2629ロヒンギャ.jpg


pict-DSCN2630.jpg


余りに長い列なので1枚では収まらず。
上下の写真を左右に繋いだ感じでご覧なってください。

しっかり安定した ”我が国” というものが無い人々は過酷な運命に曝される。

                * *


アジアと言っても、 ロヒンギャだけとは限らない。
船が流されて着いたのか、 漁民かそれとも工作員か?

11月23日夜、 由利本荘港(秋田県)に8人が乗った船が漂着。
全長20m程の粗末な木造船....これで約1ヵ月漂流した由。


 北朝鮮の船だ。
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          ☝ 「週刊新潮」 今週号より。


イカ釣り漁船だったようで、 北朝鮮人8人は保護された。

しかしこの船は本庄マリーナに係留されていたが、 吹雪の悪天候の中、 忽然と姿を消してしまった。

色々調査・研究しなきゃあならない証拠物が簡単に.....

波の穏やかな奥の桟橋に移動しておけばよかったのに...こんな
悔恨が聞かれるという。


ナーニ、 日本は平和ですから...そんなボロ船、要りません。

                * *


その3日後の26日、 今度は男鹿半島(秋田県)に木造船が漂着。
平底で全長7m、 これは密航船の疑いがあるという。

                   写真は 「週刊文春」 今週号より。
pict-DSCN2682.jpg



pict-DSCN2680.jpg

                  ☝
 残念ながら北朝鮮人民8人は全員白骨死体、 密入国に失敗。

                 * *

このような小さな船でも、 海を渡って日本にやって来る。

北朝鮮が兵器化した天然痘ウイルスを持つというのは国連の専門官の間でも常識。 飛沫感染でもうつるそうな。

独裁国家・北朝鮮に有事があれば、 ロヒンギャ難民の如く大挙して日本に押し寄せるかも。

いや有事でなくとも偽装難民がウイルス菌をばら撒きに.....
それが難民か工作員か戦闘員か....見分けが難しい。

日本はそんな時、 どう対応するんだろう?

               * *

パキスタンのように、 日本が難民キャンプを作って生活させる?
長い列で食い物を待たせると、 必ず文句が出るぞ。

粗末なテントやプレハブ、 気にくわない食べ物を提供してみろ。
先進国・日本は人権無視、 人権侵害だと言って騒ぐぞ。

寄生虫もたくさん持っている。  疫病が蔓延するぞ。
彼らは日本政府に言う、 早く治療して・・・・!


難民も騒ぐが、 それよりもっとひどい奴が日本にいる。
正義の味方・朝日新聞はけしかけて、 世界中に日本の悪口を
言い触らす。

福島瑞穂は国連の人権委員会と組んで、 胡散臭いレポートを
書かせるだろう。


先日秋田県に北朝鮮の船2隻が漂着し、 33年前に見たアフガン
難民キャンプを思い出した。


ジジイはイイ国に生まれたよ......のどかで平和な日本、











 さあ、 ”もり、 かけ” でも食うか。


チェンマイって ホントいいですね!





posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 14:01| Comment(2) | 旅の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする