本日は独居老人の「用語解説辞典」 第12弾をお楽しみください。
もし前作をお読みでない方は、そちらから先にどうぞ・・・・・・・・・。
ジジイが独自で考え解説したもの、
著名人の名言をパロディ化したもの、
名言をそのまま取り入れたもの(発した人の名は省略あり)など、
独居老人が独断と偏見で、種々織り交ぜ編纂しております。
チェンマイ独居老人の華麗なる生活‐483(用語解説辞典#12)
情欲は勝利者のない戦いである。
モーリヤック(フランス)
会談は勝利者がやる戦いである。
かいだん‐1:
身を投げた井戸からお菊の亡霊が出て、 「怪談・番町皿屋敷」。
1枚〜 2枚〜・・・・・・・。
番町は東京・市ヶ谷近く、 番町小学校やイスラエル大使館があり、
今は東京の高級住宅街でもありオフィス街でもある。
かいだん‐2:
旗本の娘お露は恋い焦がれて死亡、 そして萩原新三郎のもとに夜な夜な、牡丹灯籠を手にして通う。
これが「怪談・牡丹灯籠」。
かいだん‐3:
貞女のお岩さんが夫・伊右衛門に惨殺され、 幽霊となって復讐を果たすのが 「四谷怪談」。
四谷といってもJR四谷駅周辺ではなく、 雑司ヶ谷四谷町(現・豊島区雑司が谷)のこと。
かいだん1〜3は、 日本3大怪談話と言われる。
3話とも映画化されており、 我々高齢者にはお馴染みの怪談。
大映制作の 「四谷怪談」 1959年、 三隅研次監督。
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☝ 伊右衛門役に長谷川一夫、 お岩が中田康子。
かいだん‐4:
そのものずばり、 小泉八雲の著書が 「怪談」。
かいだん‐5:
チェンマイに来た爺さんは、 若い女に入れ揚げてスッカラカン。
カネの切れ目で女に捨てられ、 日々食うにも困る状態に。
到頭裏通りにある飯屋の前で行き倒れ、 恨み骨髄に徹してあの
世へ。
そこで 「ウラメシヤ〜」 と毎晩女のもとに現れる爺さんの亡霊、
これが 「怪談・チェンマイ裏飯屋」
大概幽霊は美女と相場が決まってるのだが、 チェンマイでは逆、
老いて醜い爺さんが化けて出てくる、 本当に怖い怪談。
かいだん‐6:
自力で2階に上がれなくなったなら、 もう目の前にあるのが
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「天国への階段」
かいだん‐7:
僧尼に戒律を授けるために設ける壇が 「戒壇」 (石などで築く)。
日本では754年、 鑑真が東大寺に設置したのが始まり。
かいだん‐8:
団体が解散することを 「解団」 という。
同じ団体でも、 政党の場合は 「解党」 という。
名前が消滅した政党は数多ある。
今では懐かしい思い出の政党です。 (順番関係なし)
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みんなの党、 結いの党、 日本創新党、 太陽の党、 社会党、
第二院クラブ、 新党日本、 新自由クラブ、 新進党、 民社党、
日本新党、 改革クラブ、 新党平和、 国民新党、 新党改革、
サラリーマン新党、 新党みらい、 たちあがれ日本、 福祉党、
新党きづな、 国民の生活が第一、 革新自由連合、 自由連合、
スポーツ平和党、 無所属の会、 民主改革連合、
上記の政党はみな議席を有していた。 まだありますかね?
日本維新の党の名も間もなく消えるかな。
”生活の党と山本太郎とアホたち” はまだ残ってたっけ?
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ジジイの若い頃の思い出に、 大日本愛国党の街宣車がある。

初代総裁・赤尾敏 (享年91) の演説は過激で面白く、 ジジイも
暫し足を止めたものだ。
社会主義者から転向した彼は、 反共主義、 愛国主義、 民族主義を訴えた。 今、福島瑞穂が転向したらヤンヤの喝采かも・・・・。
赤尾敏は1942年の翼賛選挙 (衆議院議員) で東京6区から出馬、 大政翼賛会の推薦を受けない 「非推薦候補」 ながらトップ
当選を果たしている。
但し、 戦後(1951年) 結成された大日本愛国党では、 議席は
1度(1人)も確保できなかった。
では本当にお暇な方、 興味あれば懐かしい映像を・・・・・。
赤尾敏の政見放送 (約4分)です。
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https://www.youtube.com/watch?v=bS_RhiRGoaU
昨今ニョキニョキ筍の如く現れ、 その挙句に雲散霧消。
政党助成金 (税金) はどうなってるのかなあ?
かいだん‐8:
第二次世界大戦中の1943年、 エジプトのカイロで開かれたのが
「カイロ会談」。
中華民国、 米国、 英国の3ケ国首脳が顔を揃える。
この時に連合国としての対日方針などが定められた。

☝ 蒋介石・ルーズベルト・チャーチル。
会談を経て、「カイロ宣言」 が出されたことはご存知の通り。
かいだん‐9:
1945年2月にヤルタで行われたアメリカ、 イギリス、 ソ連による首脳会談が 「ヤルタ会談」。

☝ チャーチル、 ルーズベルト、 スターリン(左から)
第二次世界大戦中、 ソ連対日参戦、 国際連合の設立について
協議された。
加えて、 ドイツおよび欧州における米ソの利害を調整することで
大戦後の国際秩序を規定し、 東西冷戦の始まりとなる。
この会談が北方領土問題の端緒にもなっている。
この 「ヤルタ会談」 の重要性はまだある。
戦後の発足が議論されていた国際連合の投票方式について、
次の5ヶ国に拒否権を認めたのだ。
イギリス、 アメリカ、 フランス、 中華民国(今の台湾)、 ソ連。
(後の国連・常任理事国メンバー)
この頃はまだ今の中国は誕生していなかった。
1911年、中華民国は清を滅ぼし、 1949年まで中国大陸を統治。

☝ 蒋介石(左) と孫文。
毛沢東率いる中国共産党は1949年、 蒋介石を台湾に追いやり、 北京市にて中華人民共和国(中国)を設立した。
従って連合国でもなかった中国が抗日戦争勝利記念日(9月3日)と称するのは、 適切ではない。
中華人民共和国としての本来の戦勝記念日は、 中華民国(国民政府) との戦争に勝った日なのだ。
共産党軍が国民政府の首都・南京を占領し、 中華民国が実質的に消滅した日、 4月23日が相応しい。
*
冷戦下の1971年に、 米国をはじめとする西側諸国と、 ソ連など
東側諸国との間で政治的駆け引きが行われる。
結果、 国際連合における 「中国代表権」 が、国連決議によって
中華人民共和国(中国)に移され、 中華民国(台湾)は国連から
脱退した。
かいだん10:
上記ヤルタ会談に先だつ1945年1月30日から2月3日にかけ、
ルーズベルト大統領とチャーチル首相がマルタ島において会談、
これが 「マルタ会談」。
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新春に畳の上でやるのが 「カルタ会談」。
*
清原 (元巨人) が覚せい剤でやったのが 「ラリッタ会談」。
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東京に到着して直ぐ会議、 これが 「ナリタ会談」。
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爺さん同士が 「週に何回 取り替えてる?」 って話すのが
「サルマタ会談」。
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スケベ爺さんたちが、 カラオケ屋に行こうか、 マッサージパーラーにしようか、 議論するのが 「ヤリタイ会談」。
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チェンマイで爺さんたちが語り合う、
「カノ女が若いんだよな、 週4回は励まなきゃ.......」
これが 「ヤルぞ会談」。
所詮世の中 男と女、 ヤッてヤラれて、 人生幸せ。
チェンマイって ホントいいですね!