2019年09月30日

独居老人の生活1651(#21懐かしき女優:環三千世)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1651
                    (#21懐かしき女優:環三千世)


 いたずらに激しいことがドラマの面白さではなく、

 ドラマの本質は人格を作り上げることだと思う。

                               小津安二郎 (映画監督)


前回に続き、 今回も70〜80代の映画ファンならご存知の女優、
環 三千世の登場です。

pict-(環三千世).jpg


環 三千世は昭和8年(1933年)、 神戸市生まれ。
昭和29年、 宝塚音楽学校を卒業 → 同年、 宝塚歌劇団に入団。

昭和30年、 嵐寛寿郎主演の 「石門捕物帳・献上博多人形」 に
端役で出演。

31年宝塚映画と専属契約、 かたわら東宝や東京映画にも出演。
32年「美貌の都」で不良少女を好演して認められる。

明るいルックスとやや舌たらずの甘い大阪弁に魅力があった。

その1作、 「青春の丘の上」 は 昭和34年(1959)製作の映画。
昔懐かしい出演者の顔ぶれを見てみよう。

神戸一郎(歌手)、  古川ロッパ、  環三千世、  初音礼子、
茶川一郎、  南都雄二、 ミヤコ蝶々、  佐々十郎など。

ジジイが14歳の時の映画。
皆さまは上記のうち、 何人をご存知でしょうか?


環三千世はコメディにもたくさん出演している。

  pict-環三知代と柳家金語楼.jpg
     ☝ 主役が柳家金語楼でかなり昔の映画。  
     ロカビリーの山下敬二郎は金語楼の息子である。


     
     昭和37年(1962年)制作の映画。
  pict-1962年制作、市村泰一監督の「喜劇 団地親分」.jpg
              ☝
ポスターの写真で思い出してください、 出演者は、

森繁久彌、 エノケン、 伴淳、 佐々木功、 大村崑、 アチャコ、
芦屋雁之助など。 勿論、環 三千世も伴淳の娘役で出演。



  pict-東宝映画ポスター「やりくりア.jpg
       ☝ 上段左端が環 三千世。


環は昭和36年松竹に移り、 38年 「古都」 などに出演。
同年 「女弥次喜多・タッチ旅行」 を最後に30歳で芸能界を引退。

この昭和38年だけでも10本の映画に出演。

その後会社員と結婚したが、 引退して10年後の昭和48年(1973年)に病死、 享年40。

映画に出ずっぱりで...早世は身体を酷使したからかな。
もし今も存命ならば、 86歳になっているが.....

昭和30年のデビューから8年間で出演したのが89本。
年間なんと10本以上の撮影、 加えてテレビでも活躍している。

『どろん秘帖』は、 朝日放送製作のコメディ番組。
全40回。 放送時間は毎週日曜 12:15〜12:45。

演出が澤田隆治、 主役は漫才の中田ダイマル・ラケットだった。


環 三千世は小津安二郎監督作品に2本出ている。
その1つが昭和36年(1961年)公開の「小早川家の秋」。

バーのホステス役で、 森繁久彌とのシーンがある。
                  ☟
pict-環三千世.jpg



「小早川家の秋」 は人気・演技派役者が勢揃いの映画だ。
   先ずはご存知 原節子。
pict-小早川家の秋.jpg
             ☝ 右端は加東大介。



女優陣がすごい、 当時の美人女優が妍を競う。

pict-新珠 三千代.jpg
             ☝ 新珠 三千代。



    白川由美(左)と司葉子。
pict-白川由美小早川家の秋.jpg



白川由美は老醜を晒してくださった。

               ☟

  pict-白川由美old.jpg



    浪花千栄子と団令子。
pict-浪花千栄子.jpg



     こんな方まで出演していた。
  pict-杉村春子と遠藤太津朗.jpg
     ☝ 上段が杉村春子、 下が遠藤太津朗。


他に中村鴈治郎、 小林桂樹、 宝田明、 笠智衆、 山茶花究。

女優陣が原節子、 司葉子、 新珠三千代、 白川由美、 団令子、
環 三千世と来たもんだ。

小津安二郎の 「小早川家の秋」 は、 このような美人女優たちが出演、 素晴らしい作品に仕上がっている。

もし原節子たちが起用されず、 次のような人気タレントが出演したとしよう。

「小早川家の秋」 は、 駄作に終わってたかもしれない。


                  ☟



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             ☝ 森三中のお三方。


                  

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              ☝ ハリセンボン。


やっぱし......






 女優は美人に限る。


チェンマイって ホントいいですね! 
posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 13:35| Comment(0) | 懐かしき女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月20日

独居老人の生活1642(#20懐かしき女優:尤敏)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1642(#20懐かしき女優)


   音楽には永遠の命があると思う。

                           アン・ダドリー (イギリスの作曲家)


約1年4ヵ月ぶりに復活の 「懐かしき女優」、 今日はジジイが10代の頃に見た人気女優が登場。

ということは、 60代の映画通の方でも馴染みが薄いかも。
ボケていたって昔のことは意外と覚えているもの。

では70、80代の皆さま、 昔を思い出して戴きましょう!
先ずはこの女優さんから。

 尤敏(ゆうみん)。  

1936年(昭和11年)8月、 香港に生まれた。

1950年代から60年代にかけて香港映画界で活躍した人気女優。
父親の白玉堂は広東オペラの名優であった。

   pict-鳥語花香(1954).jpg
         ☝ 1954年の 尤敏(18歳) 
   

尤敏は、 1952年から1968年で、 41本の作品に出演。
1961年から63年にかけては、 東宝映画(香港と合作)にも出演、 人気を博した。

 1.香港の夜 1961年(尤敏が25歳の時)
              ☟
  pict-香港の夜.jpg  


 2.香港の星 1962年

 3.ホノルル・東京・香港 1963年
              ☟
  pict-ホノルル・東京・香港.jpg


 4.社長洋行記 1962年
 5.続・社長洋行記 1962年

1〜3の作品は宝田明と尤敏とのラブロマンスを描く。
香港と東京など各国の国際都市を跨いで舞台としている。

B-707ジェット旅客機が登場、 勃興期のパンアメリカン航空が
撮影協力。

pict-香港の夜のシーン.jpg
            ☝ 「香港の夜」 のシーン。


彼女は3年間で5本の映画に出演、 1962年だけでも3本という超ハイペースで、 日本に入り浸りの状態。

当時高校生のジジイは、 5本を全て観ている。
ただ粗筋がパッと思い出せない、 どれも強烈な印象に乏しい。

しかし尤敏ファンになっていたジジイは、 彼女のチャーミングな顔や仕草にうっとりだった。

pict-尤敏.jpg


一方コンビの宝田 明は1934年4月生まれ、 尤敏より2つ年上。
既に 「ゴジラ」 などに出演、 当時の人気スター。

   pict-宝田明.jpg

「香港の夜」 は、 27歳と25歳の美男美女が共演する恋愛映画。
最終的に国内で興行収入約5億円を記録する大ヒット。

合作相手の電懋(香港)も、 香港・台湾・東南アジアでの上映で30万米ドル以上の配給収入を得る。


東宝は、 宝田/尤敏コンビでしこたま稼ぐ算段をしていたろう。

しかし2年後の 「ホノルル・東京・香港」 を最後に、 尤敏の来日は途絶えてしまう。

尤敏が28歳の年(1964年)に結婚したからだ。
相手はマカオのカジノ経営で巨万の富を築いた財閥の御曹司。

御曹司とはロンドンで結婚、 半年間の予定で新婚旅行に出発。

だが旅行中に親しかった女優の自殺などハプニングが重なり、 切り上げて4ヶ月ほどで香港に戻る。

そして帰国後、 尤敏は正式に引退を表明。

家庭に入った尤敏は妻として、 3人の子供の母として過ごし、 映画はおろか公に出ることはなかった。

しかし美人薄命、 1996年12月、 尤敏は心不全のため香港の病院で死亡、 享年60歳。


尚、2019年7月12日、 尤敏と夫が共に眠る墓を何者かが破壊。
2人の遺骨や埋葬品が持ち去られており、 警察が窃盗の疑いで捜査を進めているそうな。

                 * *

宝田明は尤敏が亡くなった6年後の2002年11月、 国際交流基金フォーラムでスピーチ。

  pict-宝田明2.jpg

尤敏とのエピソードを次のように語っている。

『3本目の撮影の休みで香港に帰った彼女がまた日本に来て、 ちょっと話があるから帝国ホテルに来てくれと....

で、 「自分と結婚する考えがあるか?」 と言われたのです。

「いや、 俺はまだちょっと仕事をしなきゃいけない」 と。

何でそんなことを急に言い出すのかと聞いたら、 香港に帰ったときにパーティである方に会って、 プロポーズされたと。

それはいいじゃないかと.....内心は面白くなかったですが(笑)。

相手はというと、 長く英国に留学して建築の勉強をして、 映画界のことはよくわからない方で、 パーティで会ってプロポーズしてきた。

家柄はと聞いたら、 マカオの公営賭博場総元締めの御曹司だと言うのです。

それで僕は、これこそ玉の輿だと思いまして 「結婚しろ!」 と。

その人と結婚して、 「1年に1本でいいから、 好きな映画を自分で選んで、 自由に出たらいいじゃないか」 と言って勧めたわけであります。

彼女は傷心の思いで帰ったわけでありましょう。
そしたら、「第四作は出ません」 と向こうから連絡がありました。

そこで私は東宝から袋だたきにあいまして、
「おまえが手をつけたに違いない」 と....


当時も今でも、 スターが結婚すると人気が落ちる。
宝田明は尤敏に手を付けず、 スターの座を守ったのか。

宝田が結婚したのは尤敏の逆プロポーズから3年後の1966年、 32歳の時だった。

相手は日本人初のミス・ユニバースの栄冠に輝いた児島明子。
しかし18年後の1984年、 離婚した。

                * *

宝田明が更にエピソードを語る。

その後結婚してたいへん幸せになられて....
ある年、 友人たちと香港を訪ねて尤敏を夕食に招きました。

そのときに 『香港の星』 の中で歌った曲のテープを密かに持って行きました。

pict-尤敏(ユーミン)香港の花2.jpg 
           ☝ 尤敏が唄う 「香港の花」。
        

そのレストランで、 係にテープを流すよう頼んでおきました。
彼女が入ってきて、ばーんとご自分の歌ったのが出て参りまして。

食べていた箸を置いて皆スタンディング・オヴェイション。

そして私のところに来て座って、そのときにはもう涙を流して、
にこやかな顔で 「あなた、ありがとう」 と....

                * *

宝田明は85歳で今も健在、 一方の尤敏は約23年前に死亡。
人間の運命はわからないものだ。

もし2人が結婚していたら面白かったのに。
でも、 離婚してたかな。


原節子同様に、 老醜を曝さなかった尤敏は....







ジジイにとって 永遠のスターだ。


チェンマイって ホントいいですね!
posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 11:54| Comment(2) | 懐かしき女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月28日

独居老人の生活1200(#19懐かしき女優:洋画編)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1200(#19懐かしき女優)


  私は両親から、誰かを本当に好きになったのなら
  結婚しなさいと教えられたのよ。

  多分私は古風な女なんでしょうね

                                    エリザベス・テイラー (女優)


@ オリヴィア・ハッセー

イギリスの女優。
1951年4月生まれで、 現在67歳。

1968年、 シェークスピア原作の映画 「ロミオとジュリエット」 で
人気女優に....

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しかしその後は役に恵まれず、 テレビ出演がメイン。

・20歳の時、 歌手ディーン・マーティンの息子と1971年に結婚し、 男児をもうけたが、1978年に離婚。(結婚生活7年)


・カネボウのCMに出演した際、そのCM曲 「君は薔薇より美しい」 を歌った歌手の布施明と1980年に結婚。

男児をもうけたが1989年に離婚。(結婚生活9年)


・1991年にアメリカ人ミュージシャンで1歳年下のデヴィッド・アイズリーと結婚。
一女を授かり、 現在も夫婦でいる。(結婚生活27年〜)

アイズリーとの間にできた娘インディア・アイズリー(24歳)は女優で、 オリビアハッセーが41歳の時に生まれた。

  老いたオリビアです。

          ☟

pict-オリビアハッセーと娘.jpg
       ☝ オリビアハッセーと娘のインディア(右)。
       
                * *


布施明との離婚の原因は ”日米のすれ違い” とか。
89年1月、 37歳のオリビアに15歳年下で22歳の歌手兼俳優の恋人ができる。

布施明は子供の養育費として3億円も支払ったという噂。
アメリカ人女性は怖い。


歌手・布施明は、 1947年生まれで現在70歳。
2013年に再婚、 相手は歌手の森川由加里。

当時布施明は65歳、 森川由加里は50歳で初婚の熟年カップル。
長い大人のつき合いを経て結婚に至る。

良かったね、 布施くん!

テレビCM 「君は薔薇より美しい」 です。 (29秒)
               ☟
https://www.youtube.com/watch?v=TEX1_4q3tB4

                * *


A サンドラ・ディー

アメリカ合衆国の女優(1942年4月〜2005年2月)。

ファッションモデルを経て1957年、 15歳で映画界入り。
青春映画スターとして1950年代末から1960年代初頭まで高い人気を誇った。

主題歌も大ヒットした 『避暑地の出来事』 でトロイ・ドナヒューと共演。  あどけない感じのサンドラにジジイは夢中になった。

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1960年、 18歳で歌手のボビー・ダーリンと結婚して一児をもうけるが1967年に離婚。

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    ☝ 左がボビー・ダーリン。


また、20歳を越えた頃から映画出演が減少、 、70年代までには彼女の名前を聞くことはほとんど無くなった。

2000年にアルコール障害から腎臓疾患を抱え、 2005年に死去
(享年62)。

1964年、 「Modern Teen Magazine」 のSandra Dee's Chic-Chatでは、 読者からの要望に応えるコラムを担当。

現在なら有名人のブログかツイッターようなものだ。

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     ☝ 22歳のころのサンドラ・ディー。


避暑地の出来事から 「夏の日の恋」、 パーシーフェイスで....
                ☟
https://www.youtube.com/watch?v=Ch1zhzIDYl4

                  * *


B モーリン・オハラ

アイルランド出身で1920年生まれ〜2015年死亡、享年95。
ジョン・フォード監督、ジョン・ウェインの西部劇に数多く出演。

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結婚は3回。
3度目(1968年)の相手はパンアメリカン航空などに勤務したパイロット。
1978年、 飛行中にエンジントラブルで墜落し死亡(享年69)。
その時モーリン・オハラは58歳、 これが最後の結婚となる。


1939年から1995年の間に43本の作品に出演。
代表作は下の5本か(ジジイが観た映画)

1941年(21歳) わが谷は緑なりき
1946年(26歳) センチメンタル・ジャーニー

1950年(30歳) リオ・グランデの砦
1952年(32歳) 静かなる男

1963年(43歳) スペンサーの山

2014年(94歳)に宮崎駿監督と共に、 アカデミー賞名誉賞を
受賞した。

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             ☝ 右端が宮崎駿監督。



美貌のモーリン・オハラをアップでどうぞ。
               ☟
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     ☝ 静かなる男のポスター。


では 「静かなる男」 のシーンです、 モーリン32歳。
             ☟           (1分18秒)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=24&v=YXq3zwJvhuE

                * *


C ナタリー・ポートマン

イスラエル出身のアメリカ女優。
1981年6月9日生まれで、 間もなく37歳になる。

1994年にオフ・ブロードウェイでの舞台でデビュー。

同年公開のリュック・ベッソン監督 『レオン』 で映画デビュー。  
この時は2000人以上の候補者から選ばれた。

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          ☝ レオンに出演、 13歳のナタリー。


この映画はジジイも観たが、 フランス映画の傑作と言っていい。
リュック・ベッソン監督も主演のジャン・レノもこれで初めて知る。

ナタリーは1999年にハーバードへ進学し、 心理学を専攻。
6ヶ国語に精通しているとか。

大学在学中は学業を優先していたため、 映画の出演は少ない。

ちょっと大人びたナタリー・ポートマン。
                ☟
pict-ナタリーポートマン1.jpg



2010年に公開されたダーレン・アロノフスキー監督作の主演映画 『ブラック・スワン』 でアカデミー主演女優賞を受賞。

ジジイも観たが、 なんか暗い映画だった印象がある。


ナタリー・ポートマンはハリウッド女優では珍しく極度の貧乳。
中学・高校生になっても全く大きくならないので親が心配する。

しかしオッパイの大小は男にとって関係ないようだ。
ナタリーは恋多き女性、 分かっているだけで6人の男と交際。

結局2010年12月、『ブラック・スワン』 で共演したフランス人振付師のバンジャマン・ミルピエとの婚約・妊娠を発表。

2011年6月に男児を出産し、 2012年8月に結婚。
2017年には2人目、 今度は女児を出産した。


今年で37歳、 お婆ちゃんにはなってません。

pict-ナタリー・ポートマン(2002年, 2017年).jpg
      ☝ 2002年      →      2017年(36歳)


               * *


D エリザベス・テイラー

ニックネームがリズ。
1932年2月生まれで、イギリス出身の女優。

『緑園の天使』 (1944年)がテイラーの出世映画に....
その後、『花嫁の父』 (1950年)、

『陽のあたる場所』 (1951年)、
『ジャイアンツ』 (1956年)、

『熱いトタン屋根の猫』 (1958年)、
『去年の夏 突然に』(1959年)などに出演している。


ジジイの1番好きな作品は、 1951年公開の 『陽のあたる場所』。
セオドア・ドライサーの小説 『アメリカの悲劇』 を映画化。

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テイラーはこの時19歳、 資産家令嬢の役。
白人女性の美貌の最盛期は18〜22歳だと思う。

彼女の美しさはこの映画が最高だったのでは.....
この後のリズは、 ジジイにとって魅力なし。

尚、この時共演したのはモンゴメリー・クリフト(享年45)。


  ホント美しいエリザベス・テイラー
pict-エリザベス・テーラー3.jpg
             ☝
  眉毛を濃くするのはタイ人女性と同じ。

              * *

私生活では、 8度の結婚と闘病生活で知られている。
ここで8回の結婚を見てみましょう。

1.ホテル王・ヒルトンの息子、 二人の結婚は9ヵ月で終了。

2.イギリス人俳優。 (1952年2月〜1957年1月で約5年)

3.マイケル・トッド(1957年2月〜1958年3月)

  トッドはアメリカ人で舞台/映画プロデューサー。
  離婚ではなく唯一の死別。


4.エディ・フィッシャー(アメリカ人歌手。1959年〜1964年)

  フィッシャーはテイラーの前夫トッドの親友で、トッドの
  死後にはテイラーを慰める関柄だった。

  そのうち二人は男女の仲に...だが当時のフィッシャーには
  妻で女優のデビー・レイノルズがいて大スキャンダル。


5.リチャード・バートン(イギリス人俳優。1964年〜1974年6月)

6.リチャード・バートン(1975年10月〜1976年7月に離婚)

   バートンと離婚後一年もしないうちに再婚し、そして一年も
   経たずに離婚した。

   尚、バートンは1925年生まれ、 1983年死亡(享年58)、
   この時リズは51歳。


7.アメリカ人で上院議員(1976年12月〜1982年11月)

8.アメリカ人土木作業員 (1991年〜1996年)
  リズが入院中に知り合って結婚、 相手の職業にみな仰天。

               * *

テーラーはエイズ撲滅運動を支持し、 1985年に米国エイズ研究財団の創設メンバーの一人となる。

1993年にはエリザベス・テイラー・エイズ基金を創設した。

長い闘病生活の末、 2011年に鬱血性心不全で死去(享年79)。

                
1971年、 テイラーは39歳で祖母となった。

テイラーが死去した時、 養女1人を含め4人の子供たちは存命で、
孫が10人、 曾孫が4人いた。

  晩年のエリザベス・テイラー。


              ☟




              ☟





pict-エリザベス・テーラー4.jpg


仮にジジイがテーラーと同じく、 6年後の79歳で死んだとしよう。
その時ジジイには、 2人の子供と4人の孫がいる(と思う)。

子孫を残す点では、 エリザベス・テイラーにとても敵わない。

しかしジジイにはまだ未来がある。










チェンマイで1人くらい作ってみたいが.......カネがない。


チェンマイって ホントいいですね!






posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 11:13| Comment(10) | 懐かしき女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする