2019年10月30日

独居老人の生活1677(#22懐かしき女優:花柳小菊)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1677
                    (#22懐かしき女優:花柳小菊)


  不幸のほとんどは、 金でかたづけられる。

                                   菊池寛 (作家)


今回も70〜80代の映画ファンならご存知の女優が登場。
でも花柳小菊ファンの人がどの位いらっしゃるやら。

  pict-山田五十鈴(右)とともに(1949年).jpg
     ☝ 山田五十鈴(左)とともに(1949年)


花柳小菊は本名・斎藤 芳子、 大正10年(1921年)2月に東京・京橋に生まれた。    

尋常小学校を卒業後、 神楽坂の芸者の道へ → 小菊の名で半玉になる。

マキノ正博にスカウトされ1935年、 日活映画 「恋愛人名簿」 に主演。

芸名は妓籍のまま、 14歳で二枚目俳優の滝口新太郎とコンビで売り出され、 スターの道をまっしぐら。

但し14歳といっても子役ではなく、 大人の女性の役を演じた。

   日活の年賀状用写真(1936年:昭.11)
pict-女優花柳小菊1.jpg
   ☝ 左から黒田記代、 花柳小菊、 原みち子、 池 雅子。


時代劇出演も増え、 阪東妻三郎や片岡千恵蔵の相手役となる。

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pict-女優花柳小菊2.jpg
             ☝ 坂東妻三郎と共演。


1940年に日活を退社、 その後は新派の舞台出演が増える。


1940年(昭和15年)、 内務省の指示で芸能界に難題が....
「新興行取締規則」 が警視総監名で公布された。

芸能人は内務省が発行する技芸証(許可証)が必要になる。
「思想、 素行、 経歴その他不適当と認むる者」 は不許可に...

ここで花柳小菊(その時19歳)が引っ掛かった。
「俳優と芸者の二足ワラジは不適当なり」 の難癖だ。

面白いことに花柳小菊は何を考えたか、 芸者の方を選ぶ。
理由は分からぬが、 芸能人だと戦地慰問に行く可能性があるからか。

話は脱線するが、 この頃から政府の統制が厳しくなる。

内務省は芸名の中で、 不真面目、 不敬、 外国人と間違えやすいものの改名を指示。

仕方なく改名した芸能人には、
ディック・ミネ(歌手) → 三根耕一
藤原釜足(俳優) → 藤原鶏太(理由は藤原鎌足に関連か)

リーガル千太・万吉(漫才) → 柳家千太・万吉
ミス・ワカナ(漫才) → 玉松ワカナ

中村メイ(5月生まれでメイは本名) → 中村メイコ(俳優)
メイは敵性語だからダメという理由。

他には、 平和ラッパ(芸人)、 ミス・コロンビ ア(歌手)、 エミ・石河(松竹)、 南里コンパル(同) 、 尼リリス(日活)など。

不敬なものとしては、 園御幸(宝塚)、 御剣敬子(同)、 熱田みや子(日活)、 吉野みゆき(新興)に改名命令。

戦前の芸能人はこんな愚かな命令に従わざるを得なかった。

               * * 

花柳小菊は戦後も松竹、 東宝、 大映、 東映で大活躍。
1956年、 東映専属になる。

  pict-花柳小菊と大友柳太朗.jpg
         ☝ 左は大友柳太郎。

脇役で多くの時代劇に出演したが、 時代劇ブームが去った1963年に東映を退社。

1968年の東映 「忍びの卍」 を最後に、 47歳で映画界を引退。
その後はテレビドラマ・舞台で活躍した。


1963年公開、 真田風雲録(予告編)で懐かしみましょう。

pict-真田風雲録.jpg
                ☟
https://www.youtube.com/watch?v=5xEaACeJJWc

                * *

花柳小菊の結婚は1968年、 47歳の時で、 相手は当時50歳の中村竹弥。
まさに熟年結婚だが、 中村は離婚した後の再婚だった。

中村竹弥はテレビ時代劇の人気スターだった。
1953年のテレビ開局に伴い、歌舞伎からテレビ時代劇に進出。

今のTBSテレビの専属俳優となり、 「半七捕物帳」(1956年)に
主演。

以降、 「右門捕物帖」  「旗本退屈男」   「新選組始末記」   「丹下左膳」 など同局の人気ドラマに主演。

草創期のテレビ時代劇を代表する人気俳優となる。
1966年以降はTBSを離れ、 時代劇を中心に脇役として活躍。

1970年、 「大江戸捜査網」 に出演。
松平定信の命を受けた無役の旗本 「御前」 こと内藤勘解由は当り役となり、 1981年まで演じた。

pict-中村竹弥.jpg


名古屋・御優座の 「細川たかし公演」 に出演中の1990年1月に体調悪化、 同舞台を降板。

同年5月、 心不全のため死亡(享年71)。
彼の最期を看取った花柳小菊はその時69歳。

その後、彼女は未亡人として20年生きたが、 2011年1月、 心不全のため都内の病院で死去(享年89)。

                * *

花柳小菊とて若い頃はいろいろ男出入りがあったようだ。
ある時期、 作家・川口松太郎に囲われていた。

   川口松太郎.jpg
        ☝ 若い頃の川口松太郎。


「古川ロッパ昭和日記」 の昭和24年10月に、 ロッパが川口松太郎と会い、 仕事の話をした後にこう書いている。

(川口は)三益愛子を捨てて、 花柳小菊と出来ていたのが近頃解消、 もとの鞘へ戻った由。

ちなみに川口松太郎は第1回目の直木賞作家。
昭和10年の36歳、 「鶴八鶴次郎」 と 「明治一代女」 で受賞。

野添ひとみ(女優)と結婚した俳優の川口浩(享年51)は、 松太郎と三益愛子の間に生まれた長男だ。

                * *

昔は写真週刊誌もテレビのバラエティ番組もなかった。
今ならスキャンダルとしてメディアを賑わせたかも....

最近は、 ちょっと不倫しただけで叩かれる。
その原因に男の不実、 不甲斐なさもある。

手切れ金をたっぷり弾まず女をポイした俳優や政治家。
女性側からの告発で明るみに...そして男のイメージダウン。


女を物にしたかったら先ずお金。

そして別れる時には誠実な心と....






  カネだ!

チェンマイって ホントいいですね!   /span>
posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 12:40| Comment(2) | 懐かしき女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月30日

独居老人の生活1651(#21懐かしき女優:環三千世)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1651
                    (#21懐かしき女優:環三千世)


 いたずらに激しいことがドラマの面白さではなく、

 ドラマの本質は人格を作り上げることだと思う。

                               小津安二郎 (映画監督)


前回に続き、 今回も70〜80代の映画ファンならご存知の女優、
環 三千世の登場です。

pict-(環三千世).jpg


環 三千世は昭和8年(1933年)、 神戸市生まれ。
昭和29年、 宝塚音楽学校を卒業 → 同年、 宝塚歌劇団に入団。

昭和30年、 嵐寛寿郎主演の 「石門捕物帳・献上博多人形」 に
端役で出演。

31年宝塚映画と専属契約、 かたわら東宝や東京映画にも出演。
32年「美貌の都」で不良少女を好演して認められる。

明るいルックスとやや舌たらずの甘い大阪弁に魅力があった。

その1作、 「青春の丘の上」 は 昭和34年(1959)製作の映画。
昔懐かしい出演者の顔ぶれを見てみよう。

神戸一郎(歌手)、  古川ロッパ、  環三千世、  初音礼子、
茶川一郎、  南都雄二、 ミヤコ蝶々、  佐々十郎など。

ジジイが14歳の時の映画。
皆さまは上記のうち、 何人をご存知でしょうか?


環三千世はコメディにもたくさん出演している。

  pict-環三知代と柳家金語楼.jpg
     ☝ 主役が柳家金語楼でかなり昔の映画。  
     ロカビリーの山下敬二郎は金語楼の息子である。


     
     昭和37年(1962年)制作の映画。
  pict-1962年制作、市村泰一監督の「喜劇 団地親分」.jpg
              ☝
ポスターの写真で思い出してください、 出演者は、

森繁久彌、 エノケン、 伴淳、 佐々木功、 大村崑、 アチャコ、
芦屋雁之助など。 勿論、環 三千世も伴淳の娘役で出演。



  pict-東宝映画ポスター「やりくりア.jpg
       ☝ 上段左端が環 三千世。


環は昭和36年松竹に移り、 38年 「古都」 などに出演。
同年 「女弥次喜多・タッチ旅行」 を最後に30歳で芸能界を引退。

この昭和38年だけでも10本の映画に出演。

その後会社員と結婚したが、 引退して10年後の昭和48年(1973年)に病死、 享年40。

映画に出ずっぱりで...早世は身体を酷使したからかな。
もし今も存命ならば、 86歳になっているが.....

昭和30年のデビューから8年間で出演したのが89本。
年間なんと10本以上の撮影、 加えてテレビでも活躍している。

『どろん秘帖』は、 朝日放送製作のコメディ番組。
全40回。 放送時間は毎週日曜 12:15〜12:45。

演出が澤田隆治、 主役は漫才の中田ダイマル・ラケットだった。


環 三千世は小津安二郎監督作品に2本出ている。
その1つが昭和36年(1961年)公開の「小早川家の秋」。

バーのホステス役で、 森繁久彌とのシーンがある。
                  ☟
pict-環三千世.jpg



「小早川家の秋」 は人気・演技派役者が勢揃いの映画だ。
   先ずはご存知 原節子。
pict-小早川家の秋.jpg
             ☝ 右端は加東大介。



女優陣がすごい、 当時の美人女優が妍を競う。

pict-新珠 三千代.jpg
             ☝ 新珠 三千代。



    白川由美(左)と司葉子。
pict-白川由美小早川家の秋.jpg



白川由美は老醜を晒してくださった。

               ☟

  pict-白川由美old.jpg



    浪花千栄子と団令子。
pict-浪花千栄子.jpg



     こんな方まで出演していた。
  pict-杉村春子と遠藤太津朗.jpg
     ☝ 上段が杉村春子、 下が遠藤太津朗。


他に中村鴈治郎、 小林桂樹、 宝田明、 笠智衆、 山茶花究。

女優陣が原節子、 司葉子、 新珠三千代、 白川由美、 団令子、
環 三千世と来たもんだ。

小津安二郎の 「小早川家の秋」 は、 このような美人女優たちが出演、 素晴らしい作品に仕上がっている。

もし原節子たちが起用されず、 次のような人気タレントが出演したとしよう。

「小早川家の秋」 は、 駄作に終わってたかもしれない。


                  ☟



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             ☝ 森三中のお三方。


                  

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              ☝ ハリセンボン。


やっぱし......






 女優は美人に限る。


チェンマイって ホントいいですね! 
posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 13:35| Comment(0) | 懐かしき女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月20日

独居老人の生活1642(#20懐かしき女優:尤敏)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1642(#20懐かしき女優)


   音楽には永遠の命があると思う。

                           アン・ダドリー (イギリスの作曲家)


約1年4ヵ月ぶりに復活の 「懐かしき女優」、 今日はジジイが10代の頃に見た人気女優が登場。

ということは、 60代の映画通の方でも馴染みが薄いかも。
ボケていたって昔のことは意外と覚えているもの。

では70、80代の皆さま、 昔を思い出して戴きましょう!
先ずはこの女優さんから。

 尤敏(ゆうみん)。  

1936年(昭和11年)8月、 香港に生まれた。

1950年代から60年代にかけて香港映画界で活躍した人気女優。
父親の白玉堂は広東オペラの名優であった。

   pict-鳥語花香(1954).jpg
         ☝ 1954年の 尤敏(18歳) 
   

尤敏は、 1952年から1968年で、 41本の作品に出演。
1961年から63年にかけては、 東宝映画(香港と合作)にも出演、 人気を博した。

 1.香港の夜 1961年(尤敏が25歳の時)
              ☟
  pict-香港の夜.jpg  


 2.香港の星 1962年

 3.ホノルル・東京・香港 1963年
              ☟
  pict-ホノルル・東京・香港.jpg


 4.社長洋行記 1962年
 5.続・社長洋行記 1962年

1〜3の作品は宝田明と尤敏とのラブロマンスを描く。
香港と東京など各国の国際都市を跨いで舞台としている。

B-707ジェット旅客機が登場、 勃興期のパンアメリカン航空が
撮影協力。

pict-香港の夜のシーン.jpg
            ☝ 「香港の夜」 のシーン。


彼女は3年間で5本の映画に出演、 1962年だけでも3本という超ハイペースで、 日本に入り浸りの状態。

当時高校生のジジイは、 5本を全て観ている。
ただ粗筋がパッと思い出せない、 どれも強烈な印象に乏しい。

しかし尤敏ファンになっていたジジイは、 彼女のチャーミングな顔や仕草にうっとりだった。

pict-尤敏.jpg


一方コンビの宝田 明は1934年4月生まれ、 尤敏より2つ年上。
既に 「ゴジラ」 などに出演、 当時の人気スター。

   pict-宝田明.jpg

「香港の夜」 は、 27歳と25歳の美男美女が共演する恋愛映画。
最終的に国内で興行収入約5億円を記録する大ヒット。

合作相手の電懋(香港)も、 香港・台湾・東南アジアでの上映で30万米ドル以上の配給収入を得る。


東宝は、 宝田/尤敏コンビでしこたま稼ぐ算段をしていたろう。

しかし2年後の 「ホノルル・東京・香港」 を最後に、 尤敏の来日は途絶えてしまう。

尤敏が28歳の年(1964年)に結婚したからだ。
相手はマカオのカジノ経営で巨万の富を築いた財閥の御曹司。

御曹司とはロンドンで結婚、 半年間の予定で新婚旅行に出発。

だが旅行中に親しかった女優の自殺などハプニングが重なり、 切り上げて4ヶ月ほどで香港に戻る。

そして帰国後、 尤敏は正式に引退を表明。

家庭に入った尤敏は妻として、 3人の子供の母として過ごし、 映画はおろか公に出ることはなかった。

しかし美人薄命、 1996年12月、 尤敏は心不全のため香港の病院で死亡、 享年60歳。


尚、2019年7月12日、 尤敏と夫が共に眠る墓を何者かが破壊。
2人の遺骨や埋葬品が持ち去られており、 警察が窃盗の疑いで捜査を進めているそうな。

                 * *

宝田明は尤敏が亡くなった6年後の2002年11月、 国際交流基金フォーラムでスピーチ。

  pict-宝田明2.jpg

尤敏とのエピソードを次のように語っている。

『3本目の撮影の休みで香港に帰った彼女がまた日本に来て、 ちょっと話があるから帝国ホテルに来てくれと....

で、 「自分と結婚する考えがあるか?」 と言われたのです。

「いや、 俺はまだちょっと仕事をしなきゃいけない」 と。

何でそんなことを急に言い出すのかと聞いたら、 香港に帰ったときにパーティである方に会って、 プロポーズされたと。

それはいいじゃないかと.....内心は面白くなかったですが(笑)。

相手はというと、 長く英国に留学して建築の勉強をして、 映画界のことはよくわからない方で、 パーティで会ってプロポーズしてきた。

家柄はと聞いたら、 マカオの公営賭博場総元締めの御曹司だと言うのです。

それで僕は、これこそ玉の輿だと思いまして 「結婚しろ!」 と。

その人と結婚して、 「1年に1本でいいから、 好きな映画を自分で選んで、 自由に出たらいいじゃないか」 と言って勧めたわけであります。

彼女は傷心の思いで帰ったわけでありましょう。
そしたら、「第四作は出ません」 と向こうから連絡がありました。

そこで私は東宝から袋だたきにあいまして、
「おまえが手をつけたに違いない」 と....


当時も今でも、 スターが結婚すると人気が落ちる。
宝田明は尤敏に手を付けず、 スターの座を守ったのか。

宝田が結婚したのは尤敏の逆プロポーズから3年後の1966年、 32歳の時だった。

相手は日本人初のミス・ユニバースの栄冠に輝いた児島明子。
しかし18年後の1984年、 離婚した。

                * *

宝田明が更にエピソードを語る。

その後結婚してたいへん幸せになられて....
ある年、 友人たちと香港を訪ねて尤敏を夕食に招きました。

そのときに 『香港の星』 の中で歌った曲のテープを密かに持って行きました。

pict-尤敏(ユーミン)香港の花2.jpg 
           ☝ 尤敏が唄う 「香港の花」。
        

そのレストランで、 係にテープを流すよう頼んでおきました。
彼女が入ってきて、ばーんとご自分の歌ったのが出て参りまして。

食べていた箸を置いて皆スタンディング・オヴェイション。

そして私のところに来て座って、そのときにはもう涙を流して、
にこやかな顔で 「あなた、ありがとう」 と....

                * *

宝田明は85歳で今も健在、 一方の尤敏は約23年前に死亡。
人間の運命はわからないものだ。

もし2人が結婚していたら面白かったのに。
でも、 離婚してたかな。


原節子同様に、 老醜を曝さなかった尤敏は....







ジジイにとって 永遠のスターだ。


チェンマイって ホントいいですね!
posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 11:54| Comment(2) | 懐かしき女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする