チェンマイ独居老人の華麗なる生活2979
(#7爺さんの恋は狂気乱心:ピカソ)
絵画は、部屋を飾るためにつくられるのではない。
私は古いもの、芸術を駄目にするものに対して
絶えず闘争している。
パブロ・ピカソ (画家)
パブロ・ピカソ(1881年〜1973年)は、スペイン・マラガ生まれ、フランスで制作活動をした画家。
キュビズム(立体派)の創始者で「20世紀最大の芸術家」とも呼ばれている。

☝ ピカソ81歳(1962年)
彼の私生活における女性関係は自由奔放。
生涯に2回結婚し、3人の女性との間に4人の子供を作った。
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ピカソがパリに出た頃(ピカソ19歳)、最初に付き合ったのはフェルナンド・オリヴィエ。

そして次の恋人がエヴァ・グール。

ピカソは彼女を讃えるために、作品に「私はエヴァを愛す」などの言葉を書き込んだ。
しかしエヴァは結核を患い、1915年に死亡、ピカソが34歳の時だ。
《人生》(ピカソ作品1903年)


☝ ピカソ27歳(1908年)
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1918年、バレリーナで貴族出身のオルガ・コクローヴァと結婚。
オルガはピカソをパリの上流階級の社交界に引き入れ、ブルジョワ趣味を教えた。

ピカソの1921年の作品 「母と子」

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妻のオルガと息子パウロをモデルに描いた。
《海辺を走る二人の女》(1922年)

だが1927年、ピカソ(当時45歳)はデパートの前にいた17歳のマリー・テレーズ・ワルテルに一目惚れして口説き落とした。

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ピカソの28歳年下の愛人・マリー・テレーズ
ピカソの口説き文句は、彼女の腕をつかみ、
「君の絵を描きたい。 私はピカソだ」
ピカソとオルガは1935年に別居したが、結婚そのものは1955年(ピカソ74歳)にオルガが亡くなるまで続いた。
ピカソはマリー・テレーズと密会を続け、1935年に娘マヤが生まれた。 ピカソが54歳の時の子供だ。
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またピカソは55歳の時(1936年)、カメラマンで画家のドラ・マール(29歳)と付き合い始め、1945年(ピカソ64歳)まで彼女を愛人にした。

《泣く女》(1937年)

ドラはピカソ芸術のよき理解者でもあり、『ゲルニカ』の制作過程を写真に記録している。

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「ゲルニカ」(1937年)
ルモ・ムニシピオ(基礎自治体)にある実物大のセラミック製壁画レプリカ。
「ゲルニカ」は1937年スペイン内戦時、ドイツ軍がスペインのゲルニカを空爆したことがきっかけで生まれた作品。
しかしピカソには既にマリー・テレーズという愛人がいる。
で、喧嘩になり、女性2人から「どっちを選ぶのか?」と問い詰められた。
ピカソは「戦って決めればよい」と女性2人に喧嘩させ、その経過を見て楽しんでいたという。
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1943年、ピカソ(62歳)は21歳の画学生フランソワーズ・ジローと出会い、1946年から同棲生活を始めた。 そして2人の子供も生まれた。

☝ フランソワーズ・ジロー
しかし、フランソワーズはピカソの支配欲の強さと嗜虐癖に愛想をつかし、1953年、2人の子を連れてピカソ(当時72歳)のもとを去り、他の男性と結婚。
このことはピカソに大きな打撃を与えた。
フランソワーズはピカソを捨てた唯一の女性と言われている。

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ピカソとフランソワーズ・ジロー
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しかしピカソは、すぐ次の愛人ジャクリーヌ・ロック(21歳)を見つけた。
彼女は南仏ヴァロリスの陶器工房で働いていたところをピカソに見そめられ、1961年(ピカソ80歳)に結婚。

☝ ジャクリーヌ・ロックとピカソ
ピカソを捨てたフランソワーズ・ジローが、子供の認知を彼に求めた時、彼は「復縁」を条件に認知に応じた。
これに乗ってフランソワーズが相手と協議離婚したが、その時すでにピカソはジャクリーヌ・ロックと再婚していた。
なのでこの結婚は、ピカソのフランソワーズに対する意趣返しと言われている。
では、フランソワーズ・ジローのその後を見よう。

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マンハッタンの自宅で...画家のフランソワーズ・ジロー。
ピカソと1953年に別れた後、芸術家のリュック・シモンと結婚。
1962年に離婚し、その後ポリオワクチンを開発したジョナス・ソークと1970年に再婚、ソークが亡くなる1995年まで続いた。
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《画家とモデル》(ピカソ作品1963年)

ピカソの絵は高い値がつく。
アルジェの女たち バージョン0

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2015年5月、ニューヨークのクリスティーズの競売で、ピカソの「アルジェの女たち バージョン0」が1億7936万5000ドル(約215億円)で落札され、絵画取引の最高額を更新した。
1973年4月、ピカソは肺水腫のためフランスのムージャンで死亡(享年91)。
ピカソの死後、孤独になった最後で2人目の妻・ジャクリーヌ・ロックは、1986年に銃で自殺(享年59歳)。
ピカソの生涯は羨ましい限り。
仕事、カネ、女、名声、健康長寿、すべてを手に入れた。
特にピカソが元気で長生きできたのは、若い女が好き、スケベだったからだと思う。
まだ遅くはない、チェンマイで....
ジジイもスケベになろう!
チェンマイって ホントいいですね!