チェンマイ独居老人の華麗なる生活2835(成り上り)
成りあがり。 大好きだね、この言葉。
素晴らしいじゃないか。
こんな、何もかもが確立されきったような世の中で、
成りあがりなんて・・・
せめて、やってみろって言いたいよ。
矢沢永吉 (歌手)
<ホテルで火災発生、カンボジア>
火災は12月28日午後11時頃、カンボジアとタイの国境の街・ポイペトで発生した。
場所は、アランヤプラテート(タイ)の検問所(イミグレーション)から約200mに位置する、タイ人所有の「グランド ダイアモンド シティ ホテル&カジノ」。 (地図はココ)


355室あるホテル&カジノを飲み込んだ大規模火災は、30人以上のタイ人が死亡したと推定されている。
29日(木)の午後遅く、カンボジアのローカル新聞は、死者数は数百人に上る可能性があると報じた。
カジノ複合施設には400人のスタッフがいて、ゲストの数は不明。
公式死者数は未発表だが、29日(木)午後半ばまでに少なくとも19人の遺体が回収された由。
炎上中にホテル &カジノ内に閉じ込められた人々は、煙の吸入または火災によって死亡した可能性が高いという。
では火災の模様を写真でどうぞ!
(写真はAFPとThe Nationより)


助けを求め電光で合図する人。


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飛び降りて死亡が判明しているだけで2名、骨折2名。
運のいい人は救助された。

絶体絶命!


夜が明けても燃える。


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正方形の囲いが火災発生のホテル&カジノ。
写真左側にタイとカンボジアの国境検問所が見える。
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ジジイは今回のポイペトの火災で、東京のホテル火災を思い出した。
1982年(昭和57年)2月8日未明、永田町の「ホテルニュージャパン」(地下2階、地上10階建)で起こったル火災である。
直接の原因は宿泊客の寝タバコの不始末だったが、同ホテルのオーナー兼社長だった横井英樹の利益優先主義による杜撰な防火管理体制なども被害拡大の要因となった。
この火災でホテルの宿泊客など死者33名・負傷者34名を出す惨事となった。
有毒ガスによる死者が廊下に溢れたが、逃げるため窓から飛び降りて命を落とした人も13名いたという。

後に横井は、業務上過失致死傷罪により禁錮3年の実刑判決を受けている。

☝ 横井英樹
ちなみに1969年、横井英樹の長男・邦彦(当時27)と結婚したのが女優の星由里子(当時26)。

結婚して80日後、星と離婚した横井邦彦氏は事業の不振などで2008年、首吊り自殺した(享年65)。
一方の星由里子は1975年に脚本家の花登筐と再婚するも1983年に死別。
1990年に会社役員と再々婚。それから亡くなるまで京都に在住していた。
2018年5月、心房細動及び肺癌のために京都市の病院にて死去(享年74)。
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神田鍛冶町の乾物屋の娘が人気女優に → 横井御曹司と結婚 → 再婚 → 再々婚で74年の人生に幕を下ろした。
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横井英樹の人生も波瀾万丈であった。
彼は愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)の貧しい農家に二男に生まれた。
東京日本橋のメリヤス問屋「渡辺商会」へ丁稚奉公。
昭和5年、17歳のときに独立し「横井商店」を開業。
その後は「戦争成金」で財を成し、老舗百貨店・白木屋乗っ取り事件(株買占め)、東洋郵船設立による海運業への進出で名を売った。
1958年、金銭トラブルから暴力団安藤組組員に銃撃された事件もあった。
横井は1993年、ホテルニュージャパン火災で禁錮3年の判決が確定、服役 → 1996年に出所。
横井の資産のほとんどは安値で売却され、最後まで所有していたのはダイエー碑文谷店と池上のボウリング場だけであった。
1998年、仕事中に急に気分が悪くなり、昏睡状態から虚血性心疾患で死去(享年85)。
横井英樹は女好き。
ミスコンのスポンサーとして大会に出席し、参加者をしばしば愛人にしていた。
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コーヒー1杯でも運転手付きのリンカーンで。
あの横井英樹が28歳の愛人つれてルンルン。
経歴や言動などから傲慢な印象があるが、素顔は奉公人上がりの腰の低さで、服役中も他の囚人に対して丁重に接していたという。
カネ儲け、野心、美女...こんなんで85歳の生涯を送った横井英樹。
ジジイから見れば...
羨ましいなあ、成り上がり。
チェンマイって ホントいいですね!