2020年06月20日

独居老人の生活1912(昔の偉人を写真で見よう)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1912(昔の偉人を写真で..)


    pict-後藤新平.jpg 

               * *

@ インフルエンザにもご注意を!

雨天が続くチェンマイだが、 怖いのは武漢肺炎だけじゃない。
今、インフルエンザが流行、 チェンマイ県では7,305人が罹患。

チェンマイ市だけでも1,767人の患者が出ている。
加えてデング熱も増えており、 263人が罹患、 1人が死亡した。


こんな暑いチェンマイでもインフルエンザが流行...驚いた。
ジジイは寒い所(季節)に発症するものと思っていたので。


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A カンボジア旅行は当分ムリ。

旅行者がカンボジアに入国する際、 到着した空港で余分なお金を支払わねばならない。

1.3千ドル(約32万円)のデポジット(現金かクレカ)。
   (注)出国時に返還あり。

2.5万ドル(540万円)の旅行保険加入が必要。

3.5ドル(コロナテストセンターへの移動費)
4.100ドル(10,700円)のコロナ検査料。

5.隔離施設(ホテル)滞在費用が30ドル/日(3食付き)。
   陰性の人でも14日間の隔離(ホテル)となる。

6.洗濯代15ドル、 医療観察費5ドル/日ほか。

7.出国のためには健康証明書が必要で、 その費用30ドル。

8.テストで陽性が出た場合、 所定の病院に入院。
   更に4種の検査要、その費用が各100ドル(計400ドル)。

9.旅行者が死亡した場合、 火葬・葬儀代で15,00ドル。

以上の費用はデポジットの3千ドルから自動的に差し引く。
尚、外交官や政府関係ビジネスの人は対象外。
   (source : Bangkok Post)

そこまでして、 なんでカンボジアに行かなきゃならないの。
物好きなツーリスト、 居るんかいな。

あ、そうか、 可愛い恋人や妻が待っているってことも....


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A 幕末の有名人を思い出す。

できるだけ説明は省き、 写真でその時代の雰囲気を....

まずは近藤勇、 新選組の隊長だ。

pict-近藤勇.jpg


1868年1月、 「鳥羽伏見の戦い」 の最中に総大将の徳川慶喜が味方を見捨て、 愛人を連れて江戸に逃げ帰る。

で、 幕府軍は総崩れで敗戦。
近藤勇の身柄は官軍の本営(板橋)に護送され処刑。

「孤軍 援(たす)け  絶えて  俘囚となり 
  君恩を  顧念して 涙、 更(ま)た 流る」

近藤勇、 享年35歳、 無念の死。

               * *

土方 歳三は、 幕末期の幕臣、 新選組副長。

天保6年5月5日(1835年5月31日)生まれ。

明治2年(1869年)5月11日、 戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭の防衛戦で戦死(享年34)。

  pict-土方歳三.jpg

             * *

映画やドラマでは美男剣士の沖田総司
「沖田家文書」 では没年が25歳になっているが....

写真では色々出ているのだが、 どれも偽物らしい。

pict-沖田総司 ニセ写真の真相.jpg


これらの写真は沖田総司じゃない...
こう主張する人のyoutubeです。
             ☟
https://www.youtube.com/watch?v=ymNhB89HTgo

               * *

芹沢鴨は、 幕末の京にあって尊王攘夷派の志士達を恐れさせた浪士集団 「新選組」 の筆頭局長を務めた人物。

新選組内部の主導権争いから、 近藤派であった土方歳三・沖田総司らの襲撃によって暗殺された。

芸者を揚げての宴会が終ると、 すっかり泥酔した芹沢らは女たちと同衾した。

大雨が降る深夜、 突然数人の男たちが芹沢の寝ている部屋に押し入り、 芹沢に斬りつけた。

驚いた芹沢は飛び起きて刀を取ろうとするが叶わず、 真っ裸のまま隣室に飛び込んだ。

しかし文机につまづいて転び、 そこを刺客たちがよってたかってずたずたに斬りつけたという。

1863年のこと、 芹沢鴨の死亡は31歳の頃か。

  pict-芹沢鴨.jpg
              ☝ 芹沢鴨。

               * *

松平 容保は、 陸奥国会津藩9代藩主(実質的に最後の藩主)。
京都守護職の任にあった。

1836年2月生まれ、 57歳で死亡。
主君は、 徳川家定 → 家茂 → 慶喜。

  pict-松平容保.jpg


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徳川慶喜は最後の将軍。

  pict-徳川慶喜2.jpg

明治2年(1869年)9月、 戊辰戦争の終結を受けて謹慎を解除され、 引き続き、駿府改め静岡に居住した。

政治的野心は全く持たず、 潤沢な隠居手当を元手に写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲など趣味に没頭する生活を送った。

    徳川慶喜正室の一条美賀子の若かりし頃。
  pict-一条美賀子(徳川慶喜正室)の若かりし頃.jpg



側室は数多く、 実に優雅な敗軍の将、 76歳まで長生きした。
                 ☟
  pict-晩年の有爵者大礼服を着た慶喜.jpg
     ☝ 晩年の有爵者大礼服を着た慶喜。



では徳川慶喜の側室を代表して2人。
      新村信。
  pict-新村信(徳川慶喜の側室.jpg



      中根幸。
  pict-中根幸(徳川慶喜の側室).jpg  

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中村半次郎(桐野利秋、 享年38)

  pict-pict-中村半次郎.jpg

人切り半次郎と言われたほどの剣豪。
しかし明治維新後は陸軍少将にまで出世、 幕末の人斬りには稀。

詳細説明はwikipediaでどうぞ。
             ☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E9%87%8E%E5%88%A9%E7%A7%8B

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尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、 一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作ったのが清河八郎

  pict-清河八郎.jpg


北辰一刀流の開祖・千葉周作の玄武館で剣を磨き免許皆伝を許され、 江戸幕府の学問所である昌平黌に学んだ。

幕府の刺客、 佐々木只三郎ら6名によって麻布赤羽橋で首を討たれた(享年34)。

山形県庄内町の清河神社に祭神として祀られている。

清河八郎を主人公にした小説が 「回天の門」。 (文春文庫)
著者は荘内出身の藤沢周平、 ジジイも一気に読んだ歴史ものだ。

  清河八郎アマゾン.png
    
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シーボルト(1796年2月生まれ)は、 ドイツの医師・博物学者。

  pict-シーボルト.jpg


ミュンヘンで風邪をこじらせ敗血症を併発して死去(70歳没)。


シーボルトお抱えの遊女だったのが瀧(お滝)。
その滝とシーボルトとの間に生まれたのが 楠本イネ

オランダお稲の名でも知られる。  天領・長崎で生まれる。

  pict-晩年の楠本イネと娘・高子.jpg
         ☝ 晩年の楠本イネと娘・高子。


イネはシーボルト門下の宇和島藩二宮敬作から医学の基礎を、 石井宗謙から産科を、 村田蔵六(後の大村益次郎)からはオランダ語を教わった。

日本人女性初の産科医として有名である。
吉村昭著で、 イネを主人公にした歴史小説は最高傑作だと思う。
             ☟
  pict-吉村昭著 「シーボルトの娘」.jpg
       ☝ 新潮文庫。


イネの娘・楠本高子(シーボルトの孫)も医師となっている。
             ☟
 pict-楠本高子.jpg

              * *

榎本 武揚(1836年10月〜1908年〈明治41年〉10月)
幕臣、 化学者、 外交官、 政治家。

函館五稜郭の戦いで有名だが、 助命されて明治政府でも活躍。
1908年10月26日死亡(享年72)。

  pict-榎本武揚.jpg  


政府内では榎本らの処置に関して対立があり、 木戸孝允ら長州閥が厳罰を求めた。
一方、 榎本の才能を知る黒田清隆、 福沢諭吉らが助命を主張。

  pict-榎本武揚2.jpg
             ☝ 榎本武揚。



榎本武揚は1864年、 オランダに留学した。
  pict-1864年オランダのハーグにて 榎本武揚(30).jpg
       ☝ ハーグにて(30歳)。

詳細はwikipediaで・・
         ☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8E%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E6%8F%9A

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黒田 清隆(1840年11月〜1900年〈明治33年〉8月)
 
薩摩藩士、 陸軍軍人、 政治家。 階級は陸軍中将。
1900年死亡(59歳没)。

榎本武揚助命のため剃髪した黒田清隆(左)
            ☟
  pict-榎本武揚助命のため剃髪した黒田清隆(左).jpg  



    明治政府では薩摩閥の重鎮だった。
pict-黒田清隆 西南戦争衝背軍11日間山県有朋.jpg
            ☝ 右は山県有朋。

詳細はwikipediaで・・
           ☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%B8%85%E9%9A%86

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ご存知、 勝海舟、 オンナ好きだった。

  pict-勝海舟2.jpg



      晩年の勝海舟(享年76)
  pict-勝海舟3.jpg

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河井継之助は長岡藩士(享年41)。

  pict-河井継之助長岡藩士(享年41).jpg

詳細はwikipediaで・・
           ☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E7%B6%99%E4%B9%8B%E5%8A%A9

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三条 実美(1837年3月〜1891年〈明治24年〉2月)。

     日本の公卿、 政治家(享年53)。
  pict-pict-三条実美(享年53).jpg


幕末には尊王攘夷・討幕派の中心的な人物。
明治維新後は元勲の一人として右大臣や太政大臣、 貴族院議員などを歴任。

また内閣総理大臣を一時兼任している。
               ☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9D%A1%E5%AE%9F%E7%BE%8E

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      坂本龍馬
  pict-坂本龍馬.jpg


     龍馬 愛用の拳銃と同じもの。
  pict-坂本龍馬 愛用拳銃.jpg

坂本龍馬は1867年12月10日、 暗殺された(31歳没)。

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お龍(おりょう)は坂本龍馬の妻。

楢崎 龍は1841年生まれ、 明治39年(1906年)死亡(享年64)。

  pict-楢崎龍 お龍2.jpg
  

中川宮の侍医であった父が死んで困窮していた頃に坂本龍馬と出会い妻となる。

薩長同盟成立直後の寺田屋遭難では彼女の機転により龍馬は危機を脱した。

龍馬の負傷療養のため鹿児島周辺の温泉を二人で巡り、 これは日本初の新婚旅行とされる。

龍馬死亡後は、 各地を流転の後に大道商人・西村松兵衛と再婚して西村ツルを名乗る。

晩年は落魄し、 貧窮の内に没した。

  pict-楢崎龍(西村ツル).jpg
          ☝ 晩年のお龍。

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中岡 慎太郎は、 坂本龍馬らと共に薩長同盟の斡旋に尽力するも近江屋事件で横死した(享年29)。

pict-中岡慎太郎・最期まで坂本龍馬.jpg

詳細はwikipediaで・・
           ☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B2%A1%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E

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岩倉 具視
1825年生まれ、日本の公家、政治家。

 pict-岩倉具視.jpg



      お札になった岩倉 具視。
  pict-岩倉具視2.jpg

1883年(明治16年)7月死亡、 享年57。
詳細はwikipediaで・・
           ☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%80%89%E5%85%B7%E8%A6%96

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由利公正は福井藩士。

福井藩士時代までは 「三岡八郎」 の名を用い、 明治維新後に 「由利公正」 に改名。
               ☟
  pict-三岡八郎 (由利公正.jpg


明治4年(1871年)に東京府知事に就任。

明治5年(1872年)5月、 岩倉使節団の随行に加わることになりアメリカ、 欧州へ渡航し、 各国の自治制度・議会制度などを研究。

明治維新後、 五箇条の御誓文の起草に参画した。
(公正が作成した 「議事之体大意」 が原文となっている)。

     晩年の由利公正。
  pict-由利公正(享年79).jpg

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慶応義塾大学の創始者・福沢諭吉

    1862年、 パリの国立自然史博物館にて・・
  pict-福沢諭吉(1862年、パリの国立自然史博物館にて).jpg



      1万円札の諭吉。
  pict-福沢諭吉 (@Yukichi.jpg 

1901年2月3日死亡(享年66)。

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     西園寺公望はお公家さん。
  pict-西園寺公望.jpg

1849年12月生まれ、 1940年(昭和15年)死亡、享年90。
日本の公家、政治家、教育者。



pict-西園寺公.jpg

wikipediaです ☟ 
https://blog.seesaa.jp/cms/article/regist/input

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後藤 新平(1857年生まれ)は医師。

  pict-後藤新平4.jpg

台湾総督府民政長官。 満鉄初代総裁。
逓信大臣、 内務大臣、 外務大臣。 東京市第7代市長。


明治23年(1890年)、 33歳のときドイツに留学。
                ☟
pict-後藤新平3.jpg

医師としてキャリアをスタートした後藤は、 内務省衛生局にスカウトされ官僚になる。

ドイツに自費で留学し、 ベルリン大学で衛生行政学を学ぶ。
北里柴三郎から細菌学を学び、 帰国後、 伝染病研究所の設立を推進し、実現させた。

1895年、 後藤新平が広島に作った伝染病検疫所が似島検疫所。

日清戦争の終結でコレラなどの伝染病がまん延する中国から、 23万人を超える兵士が船で帰国することになった。

当時37歳のの後藤が、 世界でも前例のない大規模な検疫事業の責任者(事務官長)に抜擢された。

pict-後藤新平2.jpg
                  ☝
入所点検所に行って、 持っているものを預かって貰い、待合室に移って浴室に行く。

健康な人は入浴して身体を洗い、 その間に最新の大型ボイラーで衣類や持ち物を熱気消毒した。


国内3カ所に大規模検疫所を2カ月で建設。
後藤は、 伝染病についてこう述べている。

その危険の恐るべきこと弾丸よりも大なるものがある

3カ月間で帰国船687隻、 23万2346人を検疫。

輸送船がやってくると検査官が乗り込み、 感染者、 もしくは感染の疑いのある人がいないか確認し、 いた場合は隔離する。

終わってみれば、3カ月間で687隻23万2,346人を検疫。

半分近い258隻が伝染病患者を乗せていて、 コレラ感染者369人などを隔離し、 感染拡大を阻止した。

後藤新平は昭和4年(1929年)死亡、 享年71。



2020年は武漢ウィルス蔓延。
しかし125年前にも、 コレラ感染防止で日本は対策を実行していたのだ。

昔の人は偉かったのか、 若い人が活躍している。

でも、 若死にした人が多いなあ。





ジジイは75歳、 何もせず のうのうと生きている。
ここで....



チェンマイって ホントいいですね!




posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 15:06| Comment(5) | バラエティー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここのところ、ブログのお休みがありませんでしたので身体の具合が悪くて・・・と、少し心配していました。

千円札の岩倉具視ですが、歴史とか・・・は苦手なので、「偉い人」としか認識がございません。ただ、若大将(加山雄三)のご先祖様だそうですので、なんとなく親しみを感じます。
あほなコメントですみません。
Posted by 信天翁 at 2020年06月21日 23:18
大変失礼いたしました。五百円札でした。少し飲んでます。
Posted by at 2020年06月21日 23:23
信天翁さん:
元気そのものなんですが、今回のような手間暇がかかるような内容ですと、1日で書き上げるのがキツいんです。
2回に分ければ良かったですね。
取り上げた人物は江戸時代に生まれた人ばかり。
西園寺公望は江戸 → 明治 → 大正 → 昭和と4代をを生き抜いてます。
ま、ジジイの知ってる人物しか出せませんでしたが...
西郷隆盛は、写真がなくて省略です。
コメントありがとうございました。
Posted by 独居老人 at 2020年06月22日 17:34
独居老人殿
いつも大変お世話になっております。
頭の体操、為になります。
福沢諭吉先生は千円札に格下げですか?
それとも0を一つ消してデノミですか?
Posted by 見知らぬオッサン at 2020年06月22日 22:26
見知らぬオッサン殿:
いやはやオッチョコチョイにも程がある。
写真を見たら1000の文字、何も考えずに千円と書いてしまいました。
(1000のところで写真が切れていただけ)
万札には縁のないジジイですわ。
すぐ訂正、ご指摘ありがとうございました。
Posted by 独居老人 at 2020年06月23日 13:08
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