2017年03月04日

独居老人の生活805(#14懐かしき女優)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活‐805(#14懐かしき女優)


     芝居は下手でもええ。 
     一生懸命やってたらこころが通じる。

     皆さんも死になはんなや。 
     元気にしていて、また見にきてな。

                                     ミヤコ蝶々が舞台上で.....

         
三益 愛子

1910年(明治43年)〜1982年(昭和57年)、 享年71。
戦後母物映画で一世を風靡した日本の女優

    pict-Aiko_Mimasu_01.jpg


亭主が直木賞作家の川口松太郎。
川口との間には三男一女があり、 俳優の川口浩は長男。

1936年(昭和11年)に長男の浩を出産、 当時川口松太郎に妻子があったため、 1951年(昭和26年)まで入籍しなかった


長女が元女優の川口 晶 (1950年3月〜 )。
1970年代のテレビドラマに多数出演。

晶は1971年、 スリーファンキーズの長沢純と結婚。
1男を授かるが1974年に離婚。

1978年、 兄の俳優・恒、 弟の厚とともに大麻取締法違反に問われ公から消えた。 (注) 晶は兄2人と異なり不起訴処分。

1979年にヨット・コーチでAV企画所属の国重光煕と再婚。
現在は、 国重 晶の名前で陶芸活動を行っている。


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      ☝ 
TVドラマ 「傷だらけの青春」、 中央が川口晶。    

              * 


さて三益 愛子に戻ろう。

昭和2年、 大阪の劇団 『新潮劇』 に加入して初舞台。
昭和7年には榎本健一の劇団に入りエノケンの相手役を務めた。


ここで三益愛子出演の映画を3分ほど、 どうぞ!
「娘・妻・母」 (1960年) 予告編、 監督は成瀬巳喜男。
                ☟
https://www.youtube.com/watch?v=gDEZhP7vcGo


悲劇の 「母もの」 シリーズでは、 10年間で33本の主演。

その1つ、 「巣鴨の母」 (1952年公開)
愛する息子は戦犯に....母は待ちます  何時までも.......

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            ☝
出演:三益愛子、 松島トモ子、 根上淳、 船越英二、


こちらは「母燈台」(1949年公開)、 霧島昇が歌います。
              ☟
https://www.youtube.com/watch?v=2nFYmc3SVcM

               *

三益は舞台でも活躍。
1959年(昭和34年)、菊田一夫作 『がめつい奴』 が大ヒット。

主役の「お鹿ばあさん」役を演じて、 上演回数371回のロングラン記録を作る。

昭和57年、 都内の病院で膵臓癌のため死去。 享年71。


ジジイの思い出は、 川口松太郎夫婦が文京区に建てた 「川口アパートメント」。
昭和39年築で、 当時の著名人が住んだ高級アパート。

今も賃貸物件として存続している。
安アパートで暮らしていたジジイには、 夢のような建物だった。

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            ☝ 川口アパートメント。


では華麗なる一族、 川口ファミリーを映像でどうぞ!
               ☟
https://www.youtube.com/watch?v=NIQXN-GHmvI


               * *


浦辺 粂子 (1902年〜1989年)

静岡県下田市出身。  女優活動は19歳から87歳まで。

浦辺粂子81歳の週刊求人案内CM(1983年)です。
               ☟
https://www.youtube.com/watch?v=EeUjGLNPEUc


松井須磨子にあこがれて、浦辺粂子は16才のときに家出を敢行し、 女優への道を歩んだのである。

浅草オペラや旅回りの一座を経て日活京都撮影所に入り、
『清作の妻』 『塵境』 『お澄と母』などに主演し人気を博す。

その後は日本を代表する老け役と女優して活躍し、 300本以上の映画に出演。

金色夜叉(1924年)、 浦辺が22歳の時。
             ☟
浦辺粂子金色夜叉1924年、日活.jpg



1928年(昭和3年)、 京都の資産家の息子である上野興一と結婚、 これを理由に翌昭和4年に日活を退社する。

しかし夫婦で競馬狂いになり、 結婚生活は1年で離婚。


映画 「最後の帰郷」 から さくら進軍。 昭和20年製作。
              ☟
https://www.youtube.com/watch?v=K8Sv-8tfprY

              * *

戦後は演技力を買われて他社の作品にも多く出演。

・成瀬巳喜男監督の 『稲妻』 『ひき逃げ』 『乱れ雲』
・豊田四郎監督の 『雁』

・市川崑監督の 『私は二歳』
・黒澤明監督の 『生きる』

・五所平之助監督の 『煙突の見える場所』
・木下惠介監督の 『野菊の如き君なりき』

・小津安二郎監督の 『早春』 『浮草』
・溝口健二監督の 『赤線地帯』

・市川崑監督の 『日本橋』
・伊藤大輔監督の 『切られ与三郎』

・豊田四郎監督の 『恍惚の人』 などに出演。

これを見ても実力派監督の常連だったことが分かる。
      
       
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浦辺粂子が歌ってます。
       ☟
http://nicogame.info/watch/sm7756219


1989年(平成元年)の朝、 渋谷区の自宅で湯を沸かした際に、 和服の袂に(火が)引火して全身に大火傷。

病院に緊急搬送されたがその後死亡、 享年87。


              * *


東山 千栄子  (1890年〜1980年)

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築地小劇場を経て俳優座の結成に参加した新劇出身者。
千葉県生まれで、 父は司法官で後に貴族院議員。

1909年(明治42年)に19歳で結婚、 昔の人は結婚が早かった。

相手は東京帝大法科卒で輸入業者のモスクワ支店長。
東山は夫の任地モスクワに行き、 そこで暮らす。

その当時、 モスクワ芸術座の舞台で見たのがチェーホフの作品、
『桜の園』。  東山その魅力の虜になったという。


大正14年、 築地小劇場に研究生として入団。

昭和2年、 『桜の園』 でラネーフスカヤ夫人を演じて東山の当たり役に.....
以降昭和33年の俳優座公演までに約310回の出演。

昭和19年、 千田是也、東野英治郎、小沢栄太郎らと俳優座を結成した。


映画にも意欲的に出演。
・溝口健二監督 『女優須磨子の恋』、

・吉村公三郎監督 『源氏物語』、
・今井正監督 『喜劇 にっぽんのお婆あちゃん』 等。

また東山は木下惠介監督作品の常連出演者であり、 木下監督のデビュー作を含め計13本に出演している。


ジジイにとって忘れられないのは、 小津安二郎監督の 『東京物語』。
笠智衆と共に老夫婦を演じ、 原節子との淡々とした絡みは圧巻。

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これが東山千栄子の映画出演における代表作となる。
とにかく品のいいお婆さんといった印象が強い。

昭和55年、 御殿場市の自宅で老衰のため死去、 享年89。


小津安二郎 『東京物語』 予告編をどうぞ。
原節子が美しい。  (2分18秒)
              ☟
https://www.youtube.com/watch?v=ih7usk8w2NY


               * *


ミヤコ蝶々

1920(大正9)年〜2000年。
現在の東京・日本橋小伝馬町に生まれる。

芸事好きな父親の思いつきで、7歳の蝶々を座長に据え、 旅回りの都家蝶々一座を結成。

1942(昭和17)年、 蝶々22歳の時に吉本興業からの誘いを受け、 一座を解散。

同年、 17歳年上の三遊亭柳枝と結婚。
柳枝は当時妻子を持つ身、 不倫の恋を実らせる。

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      ☝ 三遊亭柳枝と蝶々(22歳)。


1946年、 柳枝らと共に「柳枝劇団」 を旗揚げし各地を巡業。
その時弟子入りしてきたのが吉村朝治で後の南都雄二。

夫の柳枝は女癖が悪く、 劇団の若手女優に次々手を出す。
で、 1947年、 蝶々は朝治と共に家を出て、その後柳枝とは離婚、 朝治と再婚(蝶々27歳)。

蝶々は仕事が上手く行かず、 疲労回復として当時一般の薬局で販売されていたヒロポンに手を出し中毒に......

治療のため1ヶ月入院し克服、 2人は ”蝶々トンボ” の名で漫才
スタート。
これが後に改名 ”ミヤコ蝶々/南都雄二” の人気コンビとなる。

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     ☝ 1961年、 蝶々が41歳の頃。


ジジイが当時毎回聴いていたのがラジオの「漫才学校」。
1954年(昭和29年)、 朝日放送でスタートした。

森光子、 夢路いとし・喜味こいし、 秋田Aスケ・Bスケ、
笑福亭松之助他が出演。
秋田実作のコメディーで、 蝶々らは一躍人気者になる。

この頃はラジオドラマ(放送)の花盛り。
「漫才学校」に加え、 ジジイが欠かさず聴いていたのが、

「お父さんはお人好し」 (昭和29年)
「新諸国物語 笛吹童子」 (昭和28年)

「新諸国物語 紅孔雀」  (昭和29年)
「風流剣士」  (昭和30年ころ)


当時(昭30年)の物価は白米10kg680円、 銭湯入浴料15円程度。
テレビ受像機の価格は20〜30万円程度と高価で一般には買えず、 ラジオが一家の主役、 ジジイが10歳の頃である。

因みに日本初のラジオ放送開始は、 1925年(大正14年)3月。
NHK東京放送局が東京・芝浦の東京高等工芸学校内に設けた
仮送信所から発信。

アナウンサーによる記念すべき第一声は、

「アーアー、 聞こえますか。(間)JOAK、JOAK、 こちらは
東京放送局であります。 こんにち只今より放送を開始致します」


漫才学校に続いて昭和30年、 「夫婦善哉」の司会をコンビで務める。
これはラジオで8年間、 その後テレビで12年間、 計20年間放送の人気番組。

                * *

蝶々は南都雄二(1924年生まれ)とその後離婚。

雄二の夜の豪遊と女遊びは語り草になっており、 「キタの雄二
(南都雄二)かミナミのまこと(藤田まこと)、 東西南北・藤山寛美」 といわれたほど。


では蝶々/雄二の懐かしい漫才です(13分)
              ☟
https://www.youtube.com/watch?v=d2aWOfHO1_Y

                *

離婚後はソロの女優としても活動するようになり、 1969(昭和44)年には映画にも進出。

山田洋次監督の代表作 「続・男はつらいよ」に、 寅さんの瞼の母お菊役で出演。

また自ら劇団を旗揚げし、 道頓堀の 「中座」 を拠点に活動する。

pict-1996年京都南座公演.jpg       
    ☝ 京都・南座(1996年)


ミヤコ蝶々は2000年、 慢性腎不全で死去、 享年80。

因みに相方の南都雄二は1973(昭和48)年に死亡、 享年48。
その時蝶々は53歳。

糖尿病で入院治療、 後妻に逃げられ身寄りもない南都雄二だったが、 この面倒をみたのが4歳年上のミヤコ蝶々だったという。


ではミヤコ蝶々晩年の舞台をご覧あれ(2分52秒)
               ☟
https://www.youtube.com/watch?v=P2FzSPlASHc

                *

ジジイが思い出に残る番組がテレビの 「夫婦善哉」。
この番組は一般人夫婦を招いてのトークで、 蝶々・雄二がエピソードなどを訊いていく。

ジジイが今でも覚えているのが超美人の奥さんが登場した時。

まだ結婚前の頃、 奥さんが入院した。
その時今の亭主は度々見舞いに行き、 奥さんのハートをガッチリ掴んだという。

「なんのご病気でしたか?」  の問いに美人妻は平然と、

「痔でした」 と答え、 ジジイは度肝を抜かれた。


ああー、 あんな美人でも痔になるのか、 ウンコするのか......
20代、 青いジジイの女性観が変わった一瞬でもあった。


蝶々・雄二を思い出すと、 ジジイの青春が蘇ってくる。








71歳 タイでまだ、  オレは生きてるぞ。


チェンマイって ホントいいですね!





posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 10:42| Comment(2) | 懐かしき女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お歳の順に、東山千栄子、浦辺粂子、三益愛子、ミヤコ蝶々。一番若い蝶々さんでもお袋より年上です。
ブラウン管テレビで拝見しました。懐かしい事は懐かしいのですが、記憶が白黒です! 
蝶々さんの相方の南都雄二の名前は、漫才の台本を覚える際に、子供の頃から舞台に上がっていたので
殆ど学校に行けなかった蝶々さんが、「この漢字は何と言う字?」と繰り返し聞いたことに由来している…
のだとか。小生が子供の頃、叔母さんが話してくれたのを今でも憶えてます。
Posted by 信天翁 at 2017年03月06日 13:29
信天翁さん:
ジジイは前回と今回で取り上げたお婆さん女優の映画やドラマは、最低1回は見ています。
ミヤコ蝶々と南都雄二は、実際に舞台を観劇いたしました。
でも70歳代以上の老人が対象で、昭和30年以降に生まれた若い?方には思い出がないかもしれませんね。
ま、これもジジイにとっての懐かしき女優さんなんですよ。
コメントありがとうございました。
Posted by 独居老人 at 2017年03月06日 14:01
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