チェンマイ独居老人の華麗なる生活2377(神さまは意地悪)
あらゆる歴史は、それが当代の証拠によって
支持されない限りロマンスである。
サミュエル・ジョンソン (イングランドの文学者)
@ チェンマイのコロナ新規感染(2021年9月22日)
チェンマイ県発表、 9月22日:123人。

死亡は0人、 死者累計38名。
2021年4月以降の感染者累計は8,043人。
チェンマイ県内コロナ新規感染者数の推移:
6月1日:6人 → 3 → 1 → 3 → 1 → 1 → 2 →
2 →1 → 1 → 6 → 1 → 4 → 1 → 0 → 1 → 1 →
1→ 2 → 3 → 3 → 2 → 1 → 7 → 10 → 1 → 6 →
4 → 4人 (30日)→
7月1日:6人 → 5 → 5 → 7 → 17 → 26 → 29 → 31 →
30 → 31 → 31 → 19 → 30 → 48 → 66 → 76 → 52 →
66→ 46 → 47 → 64 → 38 → 35 → 54 → 100 → 46 →
64 → 69 → 65 → 102 → 46(31日) →
8月1日:59 → 63 → 66 → 49 → 47 → 60 → 72 → 36
→ 34 → 52 → 65 → 62 → 62 → 62 → 41 → 53 → 34
→ 37人 → 41 → 51 → 35 → 36 → 27 → 16 → 16 →
36 → 48 → 49 → 31 → 34 → 27人(31日) →
9月1日:28人 → 22 → 27 → 24 → 14 → 27 → 38 →
26 → 57 → 38 → 33 → 62 → 96 → 54 → 92 → 126 →
42 → 44 → 48 → 76 → 25 → 123人(22日)
123人のうち
A. 「チェンマイ冷凍食品」 の工場関連で54人(44%)
同社では9月9日に31人 → 7 → 6 → 5 → 6 → 17 → 67→
89 → 4→ 11 → 17 → 13 → 4 → 54人(22日)
B. オムコイ地区周辺で37人(30%)
C. 18人(15% )は他県からチェンマイに入境。
この3件で109人、 新規感染の約9割を占める。
* *
北部タイで注目はメーホンソン県。
9月5日:12人 → 9 → 8 → 26 → 40 → 36 → 25 → 19 →
28 → 11→ 10 → 10 → 5 → 9 → 14 → 17 → 9→10(22日)
ランプーン県も要注意。
9月5日:4人 → 34 → 72 → 52 → 23 → 40 → 26 → 91
→ 27 → 24 → 31 → 20 → 9 → 48 → 26 → 37 → 39 →
55人(22日)
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A 9月22日発表のタイのコロナ新規感染は11,252人。
死亡者141人
28人は刑務所内、 17人が海外からタイに入国した人。
8月1日:18,027 → 17,970 → 18,901 → 20,200
→ 20,920 → 21,379 → 21,838 → 19,983 →
19,603 → 19,843 → 21,038 → 22,782 → 23,418 →
22,086 → 21,157 → 20,128 → 20,515 → 20,902 →
19,851 → 20,571 → 19,014 → 17,491 → 17,165 →
18,417 → 18,501 → 18,702 →17,984 → 16,536 →
15,972 → 14,666人(31日) →
9月1日:14,802 → 14,956 → 14,653 → 15,942 →
15,452 → 13,988 → 13,821 → 14,176 → 16,031 →
14,403 →15,191 → 14,029 → 12,583 → 11,786 →
13,798 → 13,897 →14,555 → 14,109 → 13,576 →
12,709 → 10,919 → 11,252人(22日)
感染者累計:1,511,357人、 死亡者累計:15,753人。
感染多数の地域は毎日同じでダークレッドゾーン。
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B バンコクなどの開放は11月まで延期の予定。
Covid-19状況管理センター(CCSA)は、 人口比でのワクチン接種率が70%に達すれば、11月1日に開放できるという。
10月1日には、次の観光都市に隔離なしで、 外国人観光客を迎え入れる計画だった。
バンコク、 チェンマイ(市内、メーリム、メーテーン、ドイタオ地区)、 チョンブリ(パタヤなど)、 ペッチャブリー(チャアム)、 ホアヒン。
当局は、 開放前に地元住民の70%の予防接種完了を条件にしている。
ちなみにCCSAによると、 9月20日(月)の時点で、 バンコク700万人の居住者の42%が完全ワクチン接種済み。
一方、チェンマイ県は、 再開の第一段階では国際線の直行便を受け入れない由。
代わりにプーケットサンドボックス7 + 7 拡大スキームに参加し、7日間のプーケット滞在を終えた後、 チェンマイに来て貰う算段。
それでもチェンマイでは、 指定された旅行会社のツアーによってのみ、 前述の4つの観光地を旅行する。
ジジイが個人的に思ったことだが、 チェンマイってバカ。
チェンマイ市内くらい、 自由に歩き回らせろって言いたい。
PCR検査は陰性、 ワクチンは2度接種完了...このような外国人観光客を何故、束縛するのか?
特にプーケットからチェンマイにやって来る観光客は、 それまでプーケットで自由に動き回っていた。
チェンマイは、ホント、 バッカじゃなかろか。
(source : Bangkok Post)
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C ファイザー製ワクチンの接種模様(チェンマイ)
先日、 在チェンマイ日本国総領事館の情報として、 本ブログでお伝えした外国人向けのコロナ・ワクチンの接種の件。
予定通り昨日(9月22日)、 ショッピングモール 「プロムナーダ」 にてファイザー製ワクチンの接種が行われた。
写真でその模様をご覧ください。

☝ 昨日(9月22日)の接種会場。
接種前の血圧測定。

順番を待つ人たち。



* *
時は変わって23日の今日、 「プロムナーダ」 で同ワクチンの接種が行われている。
ジジイの友人は9月1日に接種、 今日は2度目のファイザー接種となる。
で、友人は本日(23日)午前10時、 「プロムナーダ」 に到着。

☝
既に長い行列、 2時間は待たされそうだと言う。
3時間は待つような混雑ぶりだ。

無料で打つんだ、 文句言うんじゃネーぞ!
とは言っても友人は80歳近いお爺ちゃん。
2時間も突っ立ていられるかなあ、 ちょっと心配。
良かった、 ここまで来たら椅子に座れる。

☝ 9月23日午前11時過ぎのプロムナード。
(ワクチン接種を待つ人々)
友人によると、 1回目の時は空いていた。
今日は初回の人と2度目の人が一緒になり混雑。
友人のワクチン接種は終了、 所要時間1時間45分だった。
日本国内では、 65歳以上の接種率は約9割。
友人はやっと日本人として仲間入りができたわけだ。
ジジイはまだアストラゼネカの1回だけ、 先は長いネ。
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D ワクチン接種が完了した割合(世界)
既定のワクチン接種(2回、 J&J のみ1回)を終えた人。

☝ 9月23日更新
接種完了した人が人口に占める割合を表示。
それぞれの国や地域のデータは、更新日までに得られたデータの中で最新のものを表示。
過去に接種実績のデータがある国でも、 直近のデータが得られていない場合は表示していない。
タイは9月22日発表ベースで約23%になっているから、 ロシアの次にランクされるはず。
ちなみに日本国内の完全接種率は、 55.1%。
65歳以上なら、88.9%が2度の接種を終えている。
(2021年9月22日公表)
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E ブロードウェイに活気が蘇る!
徐々に経済活動を再開させてきたニューヨークがついに完全復活。
1年半にわたって休演してきたブロードウェイミュージカルが9月に入り本格的に公演を再開。

タイムズスクエアにもかっての賑わいが戻ってきた。
ワクチン接種証明やマスク着用の制約はあるものの、 人々の顔には喜びがあふれている。 (source : Newsweek)
チェンマイもブロードウェイを真似たらどう!
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F アフガン退避失敗で外相が辞任。
アフガンからの退避作戦の失敗は、外相の引責辞任に値するそうな。
タリバン掌握時の自国民と協力者の国外退避は、 多くの国にとって重要な課題。
国によって、 外相が引責辞任したケースが出た。
オランダのカーフ外相が2021年9月16日、 タリバンが実権を掌握し混乱するアフガニスタンからの自国民とアフガン人協力者の退避に失敗したとして辞任に追い込まれた。

☝ オランダのカーフ外相
下院がオランダ政府に対する問責決議を可決。
カーフはこう述べて辞任。
「下院は政府が責任を欠く行動を取ったと決議した。
これについては外相である自分に全責任がある」
尚、バイレフェルト国防相も問責決議の対象となったが、辞任を拒否した。
オランダ軍は8月末に2100人を近隣諸国に退避させたが、 今もオランダ軍に協力していた通訳22人を含む多くのアフガン人や数百人のオランダ国籍者がカブール空港にたどり着けずにアフガン国内に残されている。
* *
カーフ辞任の前日には、 イギリスのラーブ外相が内閣改造の一環で外相を退いたばかり。
ラーブはタリバンの実権掌握時に休暇先のギリシャにいたため、 対応が遅れたと批判を受けていた。
ラーブは新たに司法相に任命されたが、 英メディアは外相職から更迭されたとの見方を伝えている。

☝ 更迭された感じのラーブ外相。
ジョンソン英国首相は9月15日、 アフガニスタンからの撤退計画を指揮していたラーブ氏を外相から外し、 後任にリズ・トラス前国際貿易相を起用した。

☝ 外相という主要ポストに就いたトラス氏。
* *
辞任したオランダのカーフ外相は2021年6月28日(現地時間)、 茂木敏充外務大臣と30分間、外相会談を行った。
茂木外相は、 G20外相及び開発大臣関連会合に出席するためイタリアを訪問中だった。

☝ シグリット・カーフ・オランダ外相(左)
右が茂木敏充外相。
ここでジジイはアレ?
日本はアフガン退避で失敗しなかったのか?
そうか、 日本の外相は失敗なんぞしていない。
自衛隊機は、 ちゃんとカブールに到着していた。

成功だったのだ、 日本は ”飛ばすことに意義がある”
「自衛隊海外派遣とかけて 何と解く」
「玉置浩二と解く」 「その心は...」
「安全地帯に限定される」
自衛隊法には ”現地の安全が保たれていない限り、派遣できない” という規定がある。
なので自衛隊は、 空港の中でしか活動できない、 街中まで日本人ら関係者を助けに行けない現実に直面したのだ。
野党からの問責決議案も出なかったようで...
茂木外相は今も辞任することなく頑張っておられる。

☝ 日本人1人の救出に成功。
オランダや英国と日本を比べちゃダメ。
お国柄の違いというのがあるんだから。
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G 韓国が隠したい歴史資料。
日帝当時、「渡日」 や 「日本軍へ志願」 した朝鮮人の規模。
昨日に続き、 その歴史を整理した韓国の論客・ファンドビルダー氏の寄稿文(資料)を以下に転載。
☟
太平洋戦争が終わった頃、日本に居住していた朝鮮人は190万人程であった。
その内の120万人は韓半島(朝鮮半島)へ帰り、 70万人ほどは日本に残留した。
日本に居住していた朝鮮人の人口は1911年(※日韓併合の翌年)の2527人を嚆矢として、 終戦直前の1944年には193万6843人に増加した。
33年間で760倍以上増加したわけだ。
この期間中、1914年にのみ在日朝鮮人の人口が前年比でマイナスを記録しただけで、 残りの年度は全て前年比でプラスを記録した。
1917年の場合、前年比で150%以上の増加率を記録した。
1911年の2527人からスタートし、 1944年に193万人以上の人口となったのは、 全期間で毎年平均22%以上の増加率を見せたという話となる。
特記すべきことは 「3・1運動(※万歳事件)」 を契機に1919年に日本政府が朝鮮人の日本への渡航を抑制する措置を取ったにもかかわらず、 その後、日本へ渡って行く朝鮮人の規模は変わらず増加したという点だ。
また関東大震災が発生した1923年の在日朝鮮人の人口は8万415人であったのだが、 翌年の1924年の在日朝鮮人の人口が11万8152人へと大きく増加したのも特記するに値する。
一言で言って、日帝時代の期間中、 韓半島の朝鮮人は就業、学業、新たな機会追求など、 様々な事由で絶え間なく日本の地へと渡って行ったことが分かる。
●日本に居住する朝鮮人の人口
(※出処:森田芳夫、
『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』)
1911年、2527人
1912年、3171人(前年比増加率、25.5%)
1913年、3635人(14.6%)
1914年、3542人(−2.6%)
1915年、3917人(10.6%)
1916年、5624人(43.6%)
1917年、1万4502人(157.9%)
1918年、2万2411人(54.5%)
1919年、2万6605人(18.7%)
※朝鮮人の日本への渡航制限措置
1920年、3万189人(13.5%)
1921年、3万8651人(28.0%)
1922年、5万3722人(39.0%)
1923年、8万415人(49.7%) ※関東大震災発生
1924年、11万8152人(46.9%)
1925年、12万9870人(9.9%)
1926年、14万2798人(10.7%)
1927年、16万5286人(14.9%)
1928年、23万8102人(44.0%)
1929年、27万5206人(15.6%)
1930年、29万8091人(8.3%)
1931年、31万1247人(4.4%)
1932年、39万543人(25.5%)
1933年、45万6217人(16.8%)
1934年、53万7695人(17.8%)
1935年、62万5678人(16.4%)
1936年、69万501人(10.4%)
1937年、73万5689人(6.5%)
1938年、79万9878人(8.7%)
1939年、96万7591人(21.0%)
1940年、119万444人(23.0%)
1941年、146万9230人(23.4%)
1942年、162万5054人(10.6%)
1943年、188万2456人(15.8%)
1944年、193万6843人(2.9%)
※朝鮮人への徴用開始
* *
●朝鮮人青年の日本軍志願入隊の現況
1938年:400人の募集に2900人余りが志願
(競争率、7.2対1)
1939年:600人の募集に1万2300人余りが志願
(20.5対1)
1940年:3000人の募集に8万4400人余りが志願
(28.1対1)
1941年:3000人の募集に14万4700人余りが志願
(48.2対1)
1942年:4500人の募集に25万4300人余りが志願
(56.5対1)
1943年:5330人の募集に30万3400人余りが志願
(56.9対1)
1940年(競争率、28.1対1)の場合、 志願したが脱落して日本軍に入隊出来なくなったことを悲観した江原道横城郡のある青年(李某)が自殺する事件が発生した。

☝ 韓国ソウルの戦争記念館、軍人の像
* *
こんな事実があって、 なぜ徴用工問題が出てくるのか。
自国に都合の悪いことには目をつむって認めない。
とにかく何かを言う、 意見を出すとそれが事実になっちゃうのが韓国だ。
だから平気で嘘もつき、 それを歴史的事実として認識する。
嘘も100回言えば真実になる....ああ怖ろしい怖ろしい。
* *
<楽園のような国、 不公平では?>
世界を創造している最中の神さまが天使に言った。
「日本という楽園のような国を造ってみよう。
自然あふれる国土に、 美しい四季、 水も豊富にあり、
そこに住む人々は勤勉で穏やかな性格をしている」
それを聞いた天使が言った。
「しかし、 それではあまりに不公平ではありませんか?
他の国の人々から不満が出ますよ」
すると神さまは、
「それもそうだな」 とつぶやきこう言った。
「では隣を韓国にしておこう」
神さまはホント、 意地悪ネ。 (source : 早坂 隆の Just a Joke)
チェンマイって ホントいいですね!