チェンマイ独居老人の華麗なる生活2356
(女たちの闘い#10:女1人の脱出)
予期しないことと、
予期したくないことが起こるものと、
予期するようにせよ。
マウリキウス (東ローマ帝国皇帝)
@ チェンマイのコロナ新規感染(2021年9月1日)
チェンマイ県発表(9月1日)、28人。
死亡は0人、 死者累計36名。
チェンマイ県内コロナ新規感染者数の推移:
6月1日:6人 → 3 → 1 → 3 → 1 → 1 → 2 →
2 →1 → 1 → 6 → 1 → 4 → 1 → 0 → 1 → 1 →
1→ 2 → 3 → 3 → 2 → 1 → 7 → 10 → 1 → 6 →
4 → 4人 (30日)→
7月1日:6人 → 5 → 5 → 7 → 17 → 26 → 29 → 31 →
30 → 31 → 31 → 19 → 30 → 48 → 66 → 76 → 52 →
66→ 46 → 47 → 64 → 38 → 35 → 54 → 100 → 46 →
64 → 69 → 65 → 102 → 46(31日) →
8月1日:59 → 63 → 66 → 49 → 47 → 60 → 72 → 36
→ 34 → 52 → 65 → 62 → 62 → 62 → 41 → 53 → 34
→ 37人 → 41 → 51 → 35 → 36 → 27 → 16 → 16 →
36 → 48 → 49 → 31 → 34 → 27人(31日) →
9月1日:28人
28人のうち5人(18%)は他県からチェンマイに入境。
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A 9月1日発表のタイのコロナ新規感染は14,802人
死亡者252人
217人は刑務所内、5人が海外からタイに入国した人。
8月1日:18,027 → 17,970 → 18,901 → 20,200
→ 20,920 → 21,379 → 21,838 → 19,983 →
19,603 → 19,843 → 21,038 → 22,782 → 23,418 →
22,086 → 21,157 → 20,128 → 20,515 → 20,902 →
19,851 → 20,571 → 19,014 → 17,491 → 17,165 →
18,417 → 18,501 → 18,702 →17,984 →
16,536 → 15,972 → 14,666人(31日) →
9月1日:14,802人
感染者累計:1,219,531人、 死亡者累計:11,841人。
感染多数の地域は毎日同じでダークレッドゾーン。
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B チェンマイ空港、 9月1日再開。
当面は1日10便を超えない程度で運営。
乗客は、CM-CHANAアプリにチェックインし、 コロナ検査を受け、 搭乗する72時間以内にPCR検査(陰性)の証明書を提示する。
搭乗予定の航空会社に確認がベター。

バンコク便は乗客48人、 7月22日に空港が閉鎖され以来のフライトで、 9月1日午前9時45分、 チェンマイ国際空港から離陸した。
空港当局によると、 乗客の安心と安全のために、すべての職員がワクチンを2度接種済み。
旅客ターミナル全体が1時間ごとに徹底的に清掃しているそうな。
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C 日本人の脱出はただ1人。
日本政府は、 アフガニスタンに残る邦人や大使館などの現地スタッフらを退避させるため、 自衛隊を派遣。
8月23日夕に空自C2輸送機1機、 翌24日にはC130輸送機2機が出発した。
救援輸送対象は国際機関の日本人職員に加え、 大使館や国際協力機構(JICA)の現地アフガニスタン人スタッフら。
ただ、大使館は既に閉鎖され、 日本人職員12人は17日に英軍機にて、アラブ首長国連邦のドバイに退避済み。
このため、実際は現地スタッフとその家族が主な輸送対象。
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で、8月27日、 日本人1人とアフガニスタン人14人の退避に成功。
但し韓国のアフガン390人退避の成功と比べると....

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アフガンから日本人1人退避、
空自輸送機でパキスタンへ。
岸防衛大臣は、 アフガニスタンに派遣した自衛隊撤収のため、 任務の終結命令を出した。
隣国パキスタンに待機していた部隊は速やかに帰国する予定。
しかし、日本大使館などで働くアフガニスタン人職員や、その家族などおよそ500人が現地に取り残されている。
アフガニスタンからの出国を求めて空港に人々が殺到
☟
https://www.youtube.com/watch?v=49AxFuurwBM
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アフガニスタンから日本人で唯一、 自衛隊機で退避した人は誰か?
共同通信社通信員の安井浩美さん(57歳)である。
安井浩美さんは、大阪生まれ。
京都の聖母女学院短期大学を卒業後、 アパレル会社勤務。
約1年間のシルクロードの旅を経て写真の道へ。
1993年、 フリーのフォトグラファーとしてアフガニスタンを取材し、 戦争取材とともにアフガン遊牧民の記録をライフワークとする。
2001年の米同時多発テロをきっかけにアフガン入り。
アフガニスタンの外国人ジャーナリストの中で、 最も長い滞在者のひとり。

☝ 安井浩美著
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タリバンが首都カブールを制圧してからおよそ3週間。
8月31日には、 米軍の撤退が完了した。
カブール空港、タリバンの完全な支配下に
(2021年8月31日 サンケイ)
☟
https://www.youtube.com/watch?v=W2VrH1cRixM
脱出に成功した安井さんが退避の体験を次のように語った。 (source : 週刊新潮)
☟
異変に気付いたのは、 8月15日の夕方頃でした。
路面店が急に閉まり始め、 いつも混雑する商業エリアの道路はもぬけの殻。
翌朝を迎えると街の姿は一変。 自宅周辺はタリバンだらけです。
お隣の軍閥の家は押し入れられて防弾車を強奪された挙句、 拠点基地にされました。

アフガニスタンに住んで20年になりますが、 タリバンも大きく変化しています。
ほとんどのタリバンがスマホを持ち、 最新鋭の銃を肩から下げて街を闊歩しています。
さらに驚いたのが、 1日5回の礼拝をしなくなっていることです。
20年前に政権を運営していた時には、 礼拝の時間になると市民に鞭を打ってモスクに行かせていたくらいですから。

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タリバンが軍事パレード 、 略奪した米製兵器を誇示
夫(アフガン人)の勧めもあり脱出することを決意しました。
8月26日の午後3時、 日本大使館から連絡があり、 バスで空港に向かうはずでしたが、 爆弾テロが発生しその日は頓挫。
翌朝、午前3時に今度は在カブール・カタール大使館より連絡があり、 指定されたホテルからバスに乗りました。
出発時には、 タリバンが乗り込みパスポートチェックを始め、 アフガン人がいないかを確認しました。
結局、空港に向かったのは外国人ジャーナリストだけでした。
意外にも道中にタリバンの検問はありませんでしたが、 空港のメインゲートの200m手前で足止め。
我々をエスコートするタリバンが、 空港を警備するタリバンと揉めているんです。
1時間経ってようやく許可が下りたのですが、 指揮命令系統すら混乱している彼らがこの国を仕切っていくことに強烈な不安を感じました。
当初は、 カタールの軍用機に乗る予定でしたが、 自衛隊機が来ていることを知りそちらに乗ることにしました。
日の丸を見た時には本当に嬉しかったです。
今はイスラマバードから、 動乱の時代に逆戻りしていくアフガニスタンを注意深く見守っています。
大好きな ”故郷” に戻れる日を信じて。

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共同通信社通信員の安井浩美さん(57歳)
安井さんは幸運だった、 次の様な人たちがいたんだから。
航空機にしがみついた後、 死に落ちる人々。
☟
https://www.youtube.com/watch?v=I5MlsNVwSik
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8月23日夜に日本を出発した自衛隊機はカブール空港に到着した。
しかし空港には退避を求める現地スタッフらが到着しておらず、 脱出希望者を移送できなかった。(朝日新聞、8月26日)
韓国の輸送機が韓国を発ったのも23日未明だ。
何が運命を分けたのか。
安井浩美さんの脱出のチャンスを作ってくれたのはカタール大使館。
カタールのお陰で安井さんは空港に到着できた。
そして予定を変更し、 自衛隊機に乗ったのだ。
在カブール日本大使館は既に閉鎖 → 岡田隆大使ら日本人職員12人は8月17日に英軍機でドバイに脱出していた。
気の毒なのは、 置いてきぼりにされた大勢のアフガニスタン人スタッフ。
今後はタリバンによる報復におびえる毎日だ。
安井浩美さんはカタール、 大使館の日本人職員12人はイギリス軍...
みんな外国の助けによって脱出している。
こんな時の日本政府、 頼りにならんのかなあ。
チェンマイって ホントいいですね!