2020年01月04日

独居老人の生活1736(産まれてよかった)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1736(産まれてよかった)


  (陣痛に苦しむ妻に向かって)

  勝負だ、 勝負。 勝負に出ろー!
                                  松岡修造 (元テニス選手)


@ かわいい子。

ルーイ県(地図はココ)で母親と暮らす女の子。

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2人姉妹で姉は30歳、 今バンコクで働いている。


女の子は6年の教育を受けたあと進学せず、 母親と一緒にバラ農園で働く毎日だ。

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8歳くらいに見える彼女だが、 実際の年齢は19歳。
身長は120cmで、 同年の人より遥かに小さい。

それでも女の子は、 人より劣っているとか恥ずかしいとは思ったことがないという。

他の人々も 「なぜ小さいの?  年齢は?」 と訊くことはない。


母親(59歳)が妊娠6〜7ヶ月の時、 労働中の事故で膨らんだ腹を打った由。

お腹の赤ちゃんは動きが止まり、 母親は死んだと思った。
しかし丁度7ヶ月の時に分娩、 1,000gの彼女が誕生した。

赤ん坊に母乳を飲ませ、 サプルメントを使って育てたという。
今や母娘はいつも一緒、 お互いが助け合って暮らす毎日である。

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妊娠7ヶ月で産まれたルーイの女の子は、 小さいながらもすくすく育って良かった。

今から約20年前のタイの分娩だが、 技術は高かったのか。
女の子は病院で産まれたのだろうか。


A お産婆さん。

日本の戦前は、 お産といえば自宅出産が当たり前。
医者ではなく、 お産婆さんが赤ちゃんを取り上げた。

pict-産婆.jpg


昭和10年頃、 この 「産婆」 という言葉に論議が起きる。
若い人だっているのに産婆ではおかしい、 名を変えようと...

で、関西地方では 「助産婦」 に圧倒的な支持。
しかし関東では既に 「産婆」 の助手を助産婦と呼んでいた。

これでは助助産婦になってしまう。
じゃあ 「産師」 にしようとの案、 しかし ”産死” の響きで縁起が悪い..で没。

結局、 助産婦も産師も ”流産”、 もとの 「産婆」 に....

戦後は、 お嫁さんが産婆になると 「お嫁サンバ」 になる。
これは郷ひろみによって知名度を得た。
                 ☟
https://www.youtube.com/watch?v=TIvMIBRvUn8

上が消去されていたら ☟
https://www.youtube.com/watch?v=H7Q-XqOZAfg


ブラジルでは毎年12月2日をサンバの日と定めている。
                   ☟
pict-サンバ・カーニバル.jpg



作家・有吉佐和子が出したのは 「三婆」
          ☟
  pict-三婆 (新潮文庫.jpg

              * *

昭和10年10月1日に国勢調査が行われた。
このとき朝鮮・台湾を除く日本人は7千万人に達している。

この当時の日本人の平均寿命は、 男44.8歳、 女46.5歳。
意外にも、 男女の平均寿命に現在のような大きな差はない。

これは当時、 「産褥熱(さんじょくねつ)」 で死亡することが多かったから。

(注) 産褥熱とは、 出産後、 胎盤が剥離した後の子宮壁、 産道などの傷面からの細菌感染による創傷熱。

出産後の性器は細菌の侵入が容易なので、 消毒を厳重にして感染を予防する必要がある。

最近は抗生物質の発達により悪質なものは減少している。
 

昭和23年に保健婦助産婦看護婦法が制定され、 お産婆さんの多くは病院勤務の形態になる。

1950年には約95%の人が自宅出産 → 1960年には50% →
1970年には5%以下になり、 出産場所は自宅 → 病院へ....

終戦前の1945年6月生まれのジジイは、 お産婆さんの手で産声を上げたと聞いている。

そのとき何gの赤ん坊だったかは不明。

その後は普通に育ち、 今はチェンマイで暮らしている。





「お産婆さん」  ありがとう。


チェンマイって ホントいいですね!   



posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 14:45| Comment(4) | 社会思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする