チェンマイ独居老人の華麗なる生活1706
(女たちの闘い-4:赤軍兵士)
壁にチョークで書かれている。
「やつらは戦争をしたがっている」
そう書いた者は既に死んでしまっている。
ベルトルト・ブレヒト (ドイツの詩人、 劇作家)
週刊誌 「Newsweek」 (2019年11月26日号)に載っていた1枚の写真に目が留まった。
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記事のキャプションは、
「ナチスとの戦いに向かう伝説のソ連軍パレード 再び」
第二次世界大戦当時の旧ソ連軍の制服に身を包んだロシア兵が、 2019年11月7日、 モスクワの 「赤の広場」 で軍事パレードに臨んだ。
1941年の同じ日、 ナチスドイツ軍がモスクワに迫るなか、 兵士たちは1917年の10月革命を記念して行進し、 その足でナチスと戦うため前線へと向かった。
78年前の伝説のパレードの再現は、 今日のロシアにどんな意味を持つのか。 (以上、 同誌より引用)
* *
写真中段の白の軍服姿に一瞬アレッと....なんでまた?
そうか、 雪の中で戦うからだ。

☝ 1941年、ソ連・フィンランド戦争。
独ソ戦は、 第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけて、
ドイツを中心とする枢軸各国とソ連との戦い。
当初はポーランドを共に占領していたドイツとソ連であったが、 1941年6月に突如ドイツ軍がソ連に侵入し、 戦争状態となった。
独ソ戦で際立つのは、 犠牲者(戦死、戦病死)が非常に多いこと。
ソ連兵の死者は1470万人、 ドイツ兵が390万人である。
民間人を含めばソ連は2000〜3000万人、 ドイツは約600〜1000万人が死亡。
ソ連の軍人・民間人の死傷者の総計は第二次世界大戦における全ての交戦国の中で最も多い。
それは人類史上全ての戦争・紛争の中で最大の死者数に...
ドイツ軍第1SS装甲師団。

☝ 1943年、ハリコフで。
開戦から1943年7月のクルスクの戦いまではドイツ軍の攻勢。
その後は攻守が逆転し、 東欧からドイツ東部に至る地域をソ連が占領。
1945年5月8日にドイツが無条件降伏し、 戦争は終結した。
ナポレオン同様、 ヒトラーもモスクワ占領は夢のまま、 両者とも、 ソ連の ”冬将軍” (厳しい寒さ)の前に兜を脱いだ。
* *
前線で戦ったのは男ばかりではない。
母国の危機を救うため、 多数の女性が志願入隊。
このソ連軍女性兵士の奮闘ぶりは、 本ブログ2016年8月16日
(#623)でも取り上げている。
この時は 「戦没者慰霊祭」 の前書きだったが、 その箇所だけ
再掲をお許し願おう。
出だしに次の本を掲載した。
「戦争は女の顔をしていない」
著者はスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ。
1948年ウクライナ生まれ、 2015年ノーベル文学賞受賞。

☝ 岩波現代文庫、1,340円+税。
1941年、 ドイツ軍の侵攻によりソ連は国家存亡の危機に。
そこで15歳から30歳、 ソ連従軍女性兵士たちは出征していく。
女性でも任務は男と変わらない。
狙撃兵、 斥候、 歩兵、 通信係、 飛行士、 航空整備士、
看護婦、 洗濯係、 高射砲兵、 暗号解読係、 野戦修理工、
軍医、 衛生指導員、 武器調達係、 料理係、 武装警備隊等々。
存命の彼女たちにインタビューした著者はこう書いている。
1941年の乙女たち.....訊いてみたいのは、
ああいう行動をした乙女たちが何故あんなにたくさんいたのか?
どうして男たちとともに銃をとろうと決断したのか?
銃を撃ち、 地雷をしかけ、 爆破し、 襲撃する......
つまり殺すという決断を........
戦争に行ったことのある人たちが言うには、
一般市民は3日間で軍人感覚に変わるとか...........
* *
今日はそんな彼女たちにスポットを当ててみたい。
写真でその雄姿と美貌をご覧あれ....戦う女たちです!
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☝ 行進する女性部隊。
先ずはソ連軍爆撃機の女性パイロット。
彼女たちはドイツ兵から 「夜の魔女」 と呼ばれて恐れられた。

こんな美女が爆弾を落としたのだ。

休憩中のパイロットたち。

大勢の女性狙撃兵(スナイパー)も活躍した。
勿論、男のソ連狙撃兵もいて、 その活躍を描いた映画がヒット、
それが...

☝
実在した第二次大戦の伝説のスナイパーの極限状況における愛と苦悩を描いた戦争ドラマ。
1942年9月、 ナチス・ドイツの猛攻にさらされ陥落寸前のスターリングラード(現在の地名はボルゴグラード)。
女性ソ連兵を演じたレイチェル・ワイズが美しい。

☝ 主演のジュード・ロウとレイチェル。
雑魚寝の中で主人公ジュード・ロウとのラブシーンが記憶に残る。
風呂にも入らず、 汚い下着を脱いでのセックス、 若い男女の愛にはそんなの関係ないか。
他の出演者には、
ジョゼフ・ファインズ、 ボブ・ホスキンス、 エド・ハリス。
2001年、アメリカ・ドイツ・英国・アイルランド合作(132分)
スターリングラードの予告編です。
☟
https://www.youtube.com/watch?v=NDS24Qn0wc4&feature=emb_logo
実際に避難するスターリングラードの住民。

ではここで赤軍(ソ連軍)の軍歌をご視聴ください。
<赤軍に勝る者なし>
☟
https://www.youtube.com/watch?v=PaVvaXAZUEs
* *
それではドイツ兵を恐怖に陥れた女性狙撃兵に登場して戴こう。
先ずはローザ・シャーニナ

彼女は16歳の頃に59人のドイツ兵を射殺。
「東プロイセンの見えない恐怖」 と呼ばれた。
1945年の20歳の頃、 東プロイセンでの戦闘にて死亡。
ローザ・シャーニナを主人公にした著書がある。
☟

☝ 秋元健治著、 現代書房 2750円。
お次は リュドミラ・パヴリチェンコ。

彼女はドイツ兵の間で "レディ・デス" という名で恐れられた。
史上最強の女性スナイパーと言われ、 309人を狙撃したという。
Ziba Ganiyeva

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ウズベキスタン出身のアゼルバイジャン人、 18歳で入隊。
こんな可愛い顔をして、 敵の兵士を射殺した。
Yevgenia Makeeva(左側)

Makeeva(左)は68人のドイツ兵を射殺したとか。
写真右はリュドミラ・パヴリチェンコ。
ナデジダ・コレスニコフ(左)とリューバ・マカロワ(右)
☟

彼女たちはどのようにして狙撃したか。
ある時は草むらの中に潜み・・・

☝ スナイパー受勲者:Evdokia Motina。
こんな所からも・・・

当然、 ドイツ軍にもスナイパーはいた。
彼らもこんな所に潜んでズドンと撃つ。

☝ 赤丸がなければどこに隠れているか分からない。
立ち上がると姿が見える。

赤軍・女性スナイパーたちの雄姿。

* *
冒頭に戻ろう。
著者のスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチからインタビューを受けた元女性兵士たちが思いを語る。
『私は歴史を教えています。 歴史は3回書き換えられました。
私は3つの異なる歴史の教科書で教えてきたのです。
私たちが死んだあとは何が残るんでしょう?
私たちがいなくなってから作り事を言わないで、
今のうちに訊いてちょうだい』 (歴史の老教師の言)
*
『自分の血を見て大声をあげました。
「怪我しちゃった!」
中年の看護長が私に、
「どこを怪我したんだ?」
「分からないけど......血が」
その人は父親のようにすべてを教えてくれました。
女性のあれが始まったのです』 (当時斥候兵)
*
『マーシャは両脚がぐちゃぐちゃに.......
「私を撃ち殺して。 こんなんで生きていたくない.....」
なんども祈るように頼んでた........
病院に送られた後は音信不通に......
戦後30年たって、 どこかの地方の身障者施設の患者の中に見つけだした。
母親にも生きていることを知らせなかった、 みんなから隠れていた........
30年ぶりに会ったおかあさんは気が狂いそうだった。
「私の胸が悲しみで張り裂けていなかった、
なんて運がいいんだろう!
ねえ、マーシャ! なんて運がいいんだろう!」
「今はもう会うのが怖くないわ。 もう年取ってしまったから」
そう.....つまり.....これが戦争ってもんよ』
彼女たちは祖国を守るため、 あるいは、殺された家族の仇を打つため戦ったが、その記録は抹消された。
自分が敵兵とはいえ人を殺した...そんな過去は忘れたい。
そのため戦後の長い間、 誰にも言えず苦しんでいたという。
前線で戦った赤軍(ソ連軍)の女性狙撃兵は約2,000人。
うち、生きて祖国に戻れたのは....
約500人と言われている。
チェンマイって ホントいいですね!
<追記>
独ソ戦、 書籍の出版もあり、 これがお薦め。
☟

「スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943」
アントニー・ビーヴァー著、 朝日文庫 1,100円。