2019年11月30日

独居老人の生活1706(女たちの闘い-4:赤軍兵士)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1706
                      (女たちの闘い-4:赤軍兵士)


  壁にチョークで書かれている。

  「やつらは戦争をしたがっている」

  そう書いた者は既に死んでしまっている。

                           ベルトルト・ブレヒト (ドイツの詩人、 劇作家)


週刊誌 「Newsweek」 (2019年11月26日号)に載っていた1枚の写真に目が留まった。
                 ☟
pict-DSCN6374ソ連兵士.jpg

記事のキャプションは、
「ナチスとの戦いに向かう伝説のソ連軍パレード 再び」

第二次世界大戦当時の旧ソ連軍の制服に身を包んだロシア兵が、 2019年11月7日、 モスクワの 「赤の広場」 で軍事パレードに臨んだ。

1941年の同じ日、 ナチスドイツ軍がモスクワに迫るなか、 兵士たちは1917年の10月革命を記念して行進し、 その足でナチスと戦うため前線へと向かった。

78年前の伝説のパレードの再現は、 今日のロシアにどんな意味を持つのか。  (以上、 同誌より引用)

                 * *

写真中段の白の軍服姿に一瞬アレッと....なんでまた?
そうか、 雪の中で戦うからだ。

pict-1941年6月第1次ソ連・フィンランド戦争.jpg
        ☝ 1941年、ソ連・フィンランド戦争。


独ソ戦は、 第二次世界大戦中の1941年から1945年にかけて、
ドイツを中心とする枢軸各国とソ連との戦い。

当初はポーランドを共に占領していたドイツとソ連であったが、 1941年6月に突如ドイツ軍がソ連に侵入し、 戦争状態となった。

独ソ戦で際立つのは、 犠牲者(戦死、戦病死)が非常に多いこと。
ソ連兵の死者は1470万人、 ドイツ兵が390万人である。

民間人を含めばソ連は2000〜3000万人、 ドイツは約600〜1000万人が死亡。

ソ連の軍人・民間人の死傷者の総計は第二次世界大戦における全ての交戦国の中で最も多い。

それは人類史上全ての戦争・紛争の中で最大の死者数に...


       ドイツ軍第1SS装甲師団。
   pict-1943年、ハリコフで第1SS装甲師団。戦車はマルダーII.jpg
        ☝ 1943年、ハリコフで。


開戦から1943年7月のクルスクの戦いまではドイツ軍の攻勢。
その後は攻守が逆転し、 東欧からドイツ東部に至る地域をソ連が占領。

1945年5月8日にドイツが無条件降伏し、 戦争は終結した。

ナポレオン同様、 ヒトラーもモスクワ占領は夢のまま、 両者とも、 ソ連の ”冬将軍” (厳しい寒さ)の前に兜を脱いだ。

                * *

前線で戦ったのは男ばかりではない。
母国の危機を救うため、 多数の女性が志願入隊。

このソ連軍女性兵士の奮闘ぶりは、 本ブログ2016年8月16日
(#623)でも取り上げている。

この時は 「戦没者慰霊祭」 の前書きだったが、 その箇所だけ
再掲をお許し願おう。

出だしに次の本を掲載した。

 「戦争は女の顔をしていない」

著者はスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ。
1948年ウクライナ生まれ、 2015年ノーベル文学賞受賞。

   pict-DSCN7913.jpg
     ☝ 岩波現代文庫、1,340円+税。


1941年、 ドイツ軍の侵攻によりソ連は国家存亡の危機に。
そこで15歳から30歳、 ソ連従軍女性兵士たちは出征していく。

女性でも任務は男と変わらない。

狙撃兵、 斥候、 歩兵、 通信係、 飛行士、 航空整備士、
看護婦、 洗濯係、 高射砲兵、 暗号解読係、 野戦修理工、
軍医、 衛生指導員、 武器調達係、 料理係、 武装警備隊等々。


存命の彼女たちにインタビューした著者はこう書いている。

1941年の乙女たち.....訊いてみたいのは、
ああいう行動をした乙女たちが何故あんなにたくさんいたのか?

どうして男たちとともに銃をとろうと決断したのか?
銃を撃ち、 地雷をしかけ、 爆破し、 襲撃する......

つまり殺すという決断を........
              

戦争に行ったことのある人たちが言うには、
一般市民は3日間で軍人感覚に変わるとか...........

               * *              

今日はそんな彼女たちにスポットを当ててみたい。

写真でその雄姿と美貌をご覧あれ....戦う女たちです!
                  ☟
pict-行進する女性部隊.jpg
            ☝ 行進する女性部隊。



先ずはソ連軍爆撃機の女性パイロット。
彼女たちはドイツ兵から 「夜の魔女」 と呼ばれて恐れられた。

pict-pict-ソ連軍の爆撃機の女性パイロット.jpg



   こんな美女が爆弾を落としたのだ。
pict-ソ連航空連隊の女性.jpg



   休憩中のパイロットたち。
pict-ソ連航空連隊の女性2.jpg



大勢の女性狙撃兵(スナイパー)も活躍した。

勿論、男のソ連狙撃兵もいて、 その活躍を描いた映画がヒット、
それが...

   pict-お薦めシネマ.jpg
                ☝
実在した第二次大戦の伝説のスナイパーの極限状況における愛と苦悩を描いた戦争ドラマ。

1942年9月、 ナチス・ドイツの猛攻にさらされ陥落寸前のスターリングラード(現在の地名はボルゴグラード)。

女性ソ連兵を演じたレイチェル・ワイズが美しい。

pict-スターリングラード インタビュ.jpg
        ☝ 主演のジュード・ロウとレイチェル。


雑魚寝の中で主人公ジュード・ロウとのラブシーンが記憶に残る。

風呂にも入らず、 汚い下着を脱いでのセックス、 若い男女の愛にはそんなの関係ないか。

他の出演者には、
ジョゼフ・ファインズ、 ボブ・ホスキンス、 エド・ハリス。
2001年、アメリカ・ドイツ・英国・アイルランド合作(132分)

スターリングラードの予告編です。
              ☟
https://www.youtube.com/watch?v=NDS24Qn0wc4&feature=emb_logo 


   実際に避難するスターリングラードの住民。
pict-スターリングラード.jpg


ではここで赤軍(ソ連軍)の軍歌をご視聴ください。
      <赤軍に勝る者なし>
            ☟
https://www.youtube.com/watch?v=PaVvaXAZUEs

                * *


それではドイツ兵を恐怖に陥れた女性狙撃兵に登場して戴こう。

   先ずはローザ・シャーニナ
pict-2. ローザ・シャーニナ.jpg

彼女は16歳の頃に59人のドイツ兵を射殺。
「東プロイセンの見えない恐怖」 と呼ばれた。

1945年の20歳の頃、 東プロイセンでの戦闘にて死亡。

ローザ・シャーニナを主人公にした著書がある。
               ☟
   pict-狙撃兵ローザ・シャニーナ―ナチ.jpg
      ☝ 秋元健治著、 現代書房 2750円。



   お次は リュドミラ・パヴリチェンコ。
pict-1.リュドミラ・パヴリチェンコ.jpg

彼女はドイツ兵の間で "レディ・デス" という名で恐れられた。
史上最強の女性スナイパーと言われ、 309人を狙撃したという。



      Ziba Ganiyeva
  pict-4. Ziba Ganiyeva.jpg
             ☝
 ウズベキスタン出身のアゼルバイジャン人、 18歳で入隊。
 こんな可愛い顔をして、 敵の兵士を射殺した。



    Yevgenia Makeeva(左側)
pict-3. Yevgenia Makeeva.jpg

Makeeva(左)は68人のドイツ兵を射殺したとか。
写真右はリュドミラ・パヴリチェンコ。



ナデジダ・コレスニコフ(左)とリューバ・マカロワ(右)
                   ☟
pict-5. ナデジダ・コレスニコフ(左)とリューバ・マカロワ(右).jpg



彼女たちはどのようにして狙撃したか。
  ある時は草むらの中に潜み・・・
pict-1943年:スナイパー受勲者『Evdokia Motina』.jpg
        ☝ スナイパー受勲者:Evdokia Motina。



    こんな所からも・・・
pict-ソ連の女性スナイパー.jpg



当然、 ドイツ軍にもスナイパーはいた。
彼らもこんな所に潜んでズドンと撃つ。

pict-ドイツ軍の兵士.jpg
   ☝ 赤丸がなければどこに隠れているか分からない。



   立ち上がると姿が見える。
pict-ドイツ軍の兵士スナイパー.jpg



   赤軍・女性スナイパーたちの雄姿。
pict-ロシアのスナイパー女性兵士.jpg

                * *

冒頭に戻ろう。

著者のスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチからインタビューを受けた元女性兵士たちが思いを語る。

『私は歴史を教えています。 歴史は3回書き換えられました。
 私は3つの異なる歴史の教科書で教えてきたのです。
 私たちが死んだあとは何が残るんでしょう?

 私たちがいなくなってから作り事を言わないで、
 今のうちに訊いてちょうだい』       (歴史の老教師の言)

              *

『自分の血を見て大声をあげました。
   「怪我しちゃった!」
 
中年の看護長が私に、
  「どこを怪我したんだ?」

 「分からないけど......血が」

その人は父親のようにすべてを教えてくれました。
女性のあれが始まったのです』          (当時斥候兵)

              *

『マーシャは両脚がぐちゃぐちゃに.......

 「私を撃ち殺して。 こんなんで生きていたくない.....」

なんども祈るように頼んでた........
病院に送られた後は音信不通に......

戦後30年たって、 どこかの地方の身障者施設の患者の中に見つけだした。
母親にも生きていることを知らせなかった、 みんなから隠れていた........

30年ぶりに会ったおかあさんは気が狂いそうだった。

 「私の胸が悲しみで張り裂けていなかった、
  なんて運がいいんだろう!  
  ねえ、マーシャ! なんて運がいいんだろう!」

「今はもう会うのが怖くないわ。 もう年取ってしまったから」

そう.....つまり.....これが戦争ってもんよ』



彼女たちは祖国を守るため、 あるいは、殺された家族の仇を打つため戦ったが、その記録は抹消された。

自分が敵兵とはいえ人を殺した...そんな過去は忘れたい。
そのため戦後の長い間、 誰にも言えず苦しんでいたという。


前線で戦った赤軍(ソ連軍)の女性狙撃兵は約2,000人。

うち、生きて祖国に戻れたのは....







 約500人と言われている。


チェンマイって ホントいいですね!  


  <追記>
独ソ戦、 書籍の出版もあり、 これがお薦め。
           ☟
   pict-スターリングラード 運命の攻囲戦.jpg  
「スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943」
アントニー・ビーヴァー著、 朝日文庫 1,100円。
  
posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 12:51| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月29日

独居老人の生活1705(老人になればどういう訳か・・)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1705(老人になれば..)


 医者が来るのを待ちきれずに死ぬ奴を短気という。

 そして 息が ”切れて” あの世に...


人間、 長生きすれば大概ボケる、 立派な ”国民病” といえよう。

団塊の世代が75歳以上となる2025年には、 全国の認知症患者が700万人になるそうな。

65歳以上の5人に1人がボケる → 予備群を含めると1000万人を超えるのではと推計(厚生労働省)。

pict-認知症.jpg
               ☝ イメージ画像。


ボケは、 性格や生活習慣、 日々の行動と症状の進行がリンクしているという。

特定の言動のパターンがボケの進行を早くする傾向あり。

なかでも、 わかりやすいサインのひとつが “口癖” 。
自分の脳は、 自分の発言を一番よく聞いている。

1日に何度も 「物忘れがひどくて」 という人は、 「物忘れがひどい自分」 を認め、どんどん症状が悪化。

で、 認知症の初期症状として次の2つの口癖が増える。

1つが 「面倒くさい」、  2つ目が 「別にいい」。

言葉は脳の状態を映す鏡、 認知症になる人は日頃から “悪い
口癖” を言っていることが多いとか。   (参考 : 週刊ポスト)

                 * *

ジジイはチェンマイで 「面倒くさい」 が口癖の爺さんを2人知っている。 2人とも独身者。

1人は71歳、 チェンマイが面倒くさくなったのか既にチェンマイを卒業、 顔を見せなくなった。

日本での1人暮らしだ、 間違いなくボケているだろう。


2人目は74歳、
結婚願望があったので、 ジジイはこうアドバイスした。

「普通の素人の女性を見つけたら如何?」

74歳の爺さんの相手はいつも風俗(玄人)の女性。
家や車など、 貢いだ挙句に逃げられたのが過去数人。

彼は必ず言う。
「素人は口説かなきゃならない、 面倒くさい」

言われてみれば、 風俗女性は爺さんが口説かなくても向こうからなびいてくる。

「面倒くさく」 なくて楽なことは確かだ。
しかし、 「共に白髪がはえる迄一緒に生活」 なんて頭になし。

カネだけ取ったらスタコラ逃げるのは当然か。
ま、 彼は 「エロ認知症」 にあったと言えよう。

今は 「もう女は要りません」 と言っているので、 次は一般的なボケが進行するであろう。

とにかく 「面倒くさい」 はボケる老人の口癖だとジジイも思う。


  *********************


一方で、 「切れる老人」、 「モンスター老人」 が増えている。
暴力、 暴言……高齢者による事件も多発。

総人口(1億2671万人)に占める65歳以上人口(3515万人)の割合(高齢化率)は27.7%。

高齢化により、 これからもこの比率は高まっていくという。
 (平成30年版・内閣府の「高齢社会白書」 より)


で、 1998年以降、 高齢者の検挙人員は毎年増加。
1998年が1万3739人 → 2017年で4万6264人で約3.4倍に...

うち70歳以上の検挙人員は、 2017年で3万1636人(68.4%)。
1998年の6840人と比べ、 10年間で約4.6倍にも増えている。


ではなぜ老人が ”切れて”、 ”モンスター” になるのか。

1.元気があり、 体力があり過ぎて攻撃性が増す。

2.多くのシニア社員が、 役職から引き下げられ、 部下も
   権限もなし → ムシャクシャして...

3.家庭内の権威低下 → 相手にされず → 1人で暇を持て余す。

4.「お客様は神様」 の風潮で、 尊敬を強要する心理が高まる。

   pict-okoru-oji.jpg


プライド過剰な高齢者は特にストレスが大きい。

店員さんなど赤の他人に無理やり敬意を要求し、 「態度が許せない」 と言ってキレるという。

些細なことで切れるのだ。
電車内で席を譲られると、 「年寄り扱いするな!」


幼児が電車内などで泣いていると、 「静かにさせろ!」
そして 「日頃からちゃんと躾しろよ」 となる。


レストランで年寄り大勢が騒ぎ立てる。
周りから苦情がきて、 店員が 「お静かに願いませんか?」

これで切れる、 「そんなにうるさくはしていない!」 
「カネ払ってるんだぞ!」 そう、”お客様は神様” 根性なのだ。


コンビニでは、 おとなしい店員に向かって、
「もっとハキハキ話しなさい!」 と怒鳴って説教。

老人にはこういう説教マニアが多いらしい。

 pict-キレる老人.jpg



介護現場でもモンスター発揮。
若い女性介護士の手やお尻、 胸を触る爺さんがいるんだとか。

介護士が 「いい加減にしてください!」 と言えば、
「老人には優しくしてよ、 いたわらないとダメでしょ!」
   (参考 : ダイアモンドオンライン)

こんな ”エロボケ” はおっぽり出せばイイ。

pict-転職で介護.jpg
         ☝ 触りまくる爺さんがいるとか。
             (イメージ画像)

               * *

もうチェンマイを引き揚げてしまったが、 次のようなお堅い爺さん・某(70代)がいた。

某がチェンマイ総領事館に行った時のこと。
窓口で書類の発行を依頼 → タイ人(女性)職員がその書類を差し出した。

そのとき某はこう言って怒った。
「こういう書類は封筒に入れて渡すもの、 なっとらん!」


ある日某は、 和食レストランに行った。
混み合っていて、 注文の料理が中々出てこない。

なんせタイ人夫婦による家族経営の小さな店だ。
待ちきれず、 とうとう切れた、 テーブルをガンガン叩いて、

「何をやってる、 どれだけ待たせるんだ、 いい加減にしろ!」

店主がやって来て
「もう帰ってくれ、 2度と来ないでくれ」。

               * *

某という人は謹厳実直、 いつもは普通の好々爺、 イイ人なのだ。
しかし余りに日本スタンダードであり過ぎた。

タイに居ながら、 暮らし方と考え方は日本そのまま。
これではストレスが溜まる一方だ。

ここはタイランド、 マイペンライ(気にしない)の国。

と言いながら、 ジジイもたまには切れることもある。


ジジイは切れそうになった時、 こう3回、呪文を唱える。

間違いなく気が静まる......皆さまにもお奨めします。








「オxxコ、 オxxコ、 オxxコ」


チェンマイって ホントいいですね!  


posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 14:28| Comment(2) | 老い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月28日

独居老人の生活1704(最近のイミグレ状況)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1704(最近のイミグレ状況)


 楽観主義者は何もないところに明かりを見るが、

 なぜ悲観主義者はいつだって

 その明かりを吹き消そうとするのだろうか?

                            デカルト (フランス生まれの哲学者)


11月21日(木)、 友人Aさんはチェンマイ・イミグレーション事務所に出向いた。 1年ビザ(Retirement)延長のため。

午前8時過ぎにイミグレ到着、 貰った順番札は10番目(R10)。
掲示板をチェックすると7番目の人が手続き中。

午前10時には1年ビザとリエントリーの2つの手続きが完了。
昨年と同じくらいの所要時間(約2時間)だったという。

                * *

友人Bさんは11月23日(土)の午前10時40分にイミグレ到着。
目的はTM30の届け出(前日にタイ入国)。

5分ほどで手続き完了、 実に簡単。

                * *

ちょっと問題があったのが Cさん。
チェンマイ・イミグレに行ったのは11月26日(火)。

目的は1年ビザ(Retirement)の手続き。

Cさんはこれまで年金だけ(銀行預金ゼロ)で延長してきたが、 今回、年金通知書の持参を忘れてチェンマイへ...

預金ゼロでは延長不可、 最初から1年ビザ取得の憂き目に...
すぐさま80万バーツを預金して申請、 9月上旬にビザを得た。

この日(11月26日)はそれから3ヵ月目の手続きに行ったわけ。
Cさんは午前11時にイミグレ到着。

すると受付で 「今日はもう満杯、 明日の朝7時出直してくれ」

同じ事を言われた白人は顔を真っ赤にして怒っていたという。
ジジイはこの情報を得た時、

「あれ、 ちょっとおかしいな」 と感じた。

イミグレの業務改革以来、 このようなことは1度も聞かなかったからだ。


Cさんは翌朝11月27日(水)、 6時45分に再度イミグレに...
順番札は3番目、 受付係が出直しに気を遣い、 3番にしてくれたらしい。

で、 10時15分、 1年ビザとリエントリーの2つを取得。
両方の手続きに要した時間は合計3時間半。

内訳は、 1年ビザ完了(パスポート返却)までには約3時間、 リエントリーで30分。

尚、Aさん、Cさんの両人とも、 医療保険加入は要求されず。

Cさんは翌朝に出直しさせられたり、 2つのビザ取得に3時間半もかかっている。 混雑していたのだろうか?

               * *

ジジイは今年8月22日(木)、 チェンマイ・イミグレに行った。
目的は1年ビザ(Retirement Visa)の延長だ。

 11:45  1年ビザの受付。
 12:04  同上の手続きスタート。

 12:14  1年ビザの手続き終了。
 12:25  パスポートの返却あり。

受付 → 手続き → パスポート返却までたったの40分。 

それも12時過ぎの業務だ。 
以前なら 「今日は終わり、 また明日来てね」 で冷たい対応。


もしこの後、すぐにリエントリーを申請(取得)したとしても、 長くて30分ほどの所要時間であったろう。

となると2つのビザ取得の所要時間は合計1時間10分程度。

Cさんの3時間半はどう考えても長すぎるし、 前日の 「今日は満杯、 出直してくれ」 もヘン。

今年10月30日から 「NON-OA」 ビザに医療保険加入が義務付けされたが、 これが影響か?

保険加入をめぐって申請者とイミグレで ”揉めたり” 等があり、
時間がかかっているのかも....(あくまでジジイの推測)。

(注)
ジジイが9月11日、 リエントリーを取りに行った時(午後2時半頃イミグレ到着)、 1秒と待たずに手続き完了。

                 * *

「O-A」 ビザに医療保険加入が始まってから1ヵ月近く経つが、 ジジイの友人・知人にそれで延長できなかった人は1人もいない。

ということは、 みな 「O」 ビザか家族ビザなのか。
「O-A」 を持つ友人Dさんは次のように語っている。

「俺は今まで通り(保険なし)で延長しにイミグレ行くよ。
 そこで保険を要求されたらもう日本に帰る」
               
   pict-1573853282701ビザのスタンプ (1).jpg  
        ☝ O-Aビザのスタンプ(赤の矢印)

横で聞いていたビザに詳しい友人Eさんはこう付け加えた。

「80歳を過ぎると加入する保険はなくなるよね。
 20数年タイで暮らしてきた爺さんが、 保険がないから
 帰国せざるを得ない、 こんな馬鹿げた話はないよ」

得たりとばかりにDさんが....

「日本で取得した時は O-Aだったけど、 タイで延長後は
  Oのリタイアメントビザになってるさ。
 保険は日本でこれから取得するO-Aに適用されるんだよ」

と楽観論を述べていた。





期待どおりになるといいが.... さてどうか。


チェンマイって ホントいいですね!  
posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 11:42| Comment(8) | ビザ・イミグレ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする