2019年05月29日

独居老人の生活1537(お嬢)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1537(お嬢)


  ひばりに引退はありません。

 ずっと歌い続けて、 いつの間にかいなくなるのよ。

                                美空ひばり (歌手)


今日、5月29日は美空ひばりの誕生日、 存命なら82歳になる。
ひばりは昭和12年、 横浜市磯子区で魚屋の娘として誕生。
      (1937年)

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                   ☝
店名 「魚増」 の増は、 父増吉の名から取ったものと思われる。
量りの前にひばりの姿が見える。

舞台デビューも磯子区の杉田劇場(1946年で9歳の時)。

美空ひばりといえば切っても切れない人物が田岡一雄、 三代目
山口組組長だ。

   pict-田岡一雄.jpg

1948年、 神戸松竹劇場への出演に際して田岡に挨拶に出向き、 気に入られた。
田岡一雄は、 まだ無名のひばりを当時人気絶頂の川田義雄(のちの川田晴久)に紹介、 横浜国際劇場に出演させる。

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            ☝ 左が川田晴久。


川田晴久をご存知ない方、 ビデオでどうぞ!
 「地球の上に朝がくる」  (1分14秒)
              ☟
https://www.youtube.com/watch?v=mRD_Yqhz53U


ひばりの映画初出演は12歳の時で1949年。
東横映画 『のど自慢狂時代』 でブギウギを歌う少女役。

1950年、 川田晴久とともに二世部隊戰敗記念碑建立基金募集公演のため渡米。

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            ☝ 川田晴久と美空ひばり。



帰国してすぐに2人の主演で 『東京キッド』 に出演。

   pict-美空ひばり主演.jpg

映画とともに同名の主題歌も前作同様の大ヒットとなった。

『東京キッド』  (1分26秒)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=22&v=OCiwZC5cbW4


このころ、 同じく人気絶頂のエノケンとも共演した。

   pict-DSCN4701美空ひばり (4).jpg
             ☝ 榎本健一。



1951年、 嵐寛寿郎主演の 『鞍馬天狗・角兵衛獅子』 に杉作少年役で出演。 以後これを持ち役とした。

   pict-鞍馬天狗.jpg


1953年、『お嬢さん社長』 に主演。
母・喜美枝は、 ひばりを 「お嬢」 と呼ぶようになり、 その後、 「お嬢」 がひばりのニックネームになった。


1955年には江利チエミ、 雪村いづみ(現在82歳)とともに東宝映画 『ジャンケン娘』 に出演、 「三人娘」 として人気を博す。

尚、 江利チエミはひばりと同い年、 1982年死亡(享年45)。

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    ☝ 左から美空ひばり、 雪村いずみ、 江利チエミ。


ひばりは東映と専属契約を結んだ1958年から1963年の間、多くの映画に主演し、 東映時代劇の黄金期を支える。

生涯で150本を超える映画に出演し、 そのほとんどが主演という、 戦後を代表する映画女優であったといえる。

   pict-映画.jpg


ひばりに不幸が襲ったのは1957年1月、 浅草国際劇場公演中。
観客の少女から塩酸を顔にかけられ緊急搬送 → 入院した。

      若い頃のひばり。
   pict-美空ひばり.jpg


1958年、山口組・田岡一雄組長が神戸芸能社の看板を掲げた。
美空ひばりは神戸芸能社の専属歌手になる。

ひばりの結婚は1962年、 25歳の時で相手はマイトガイ小林旭。
出会いは雑誌が企画した対談だったとか。

ひばりは田岡一雄に恋心を打ち明ける。
で、 田岡は小林に 「結婚してやれ」 と強引、 小林は断れず。

   pict-1962(昭和37)年ごろ撮影.jpg
  

1964年、 2年あまりで小林旭と離婚。
ひばり親子はまたも田岡一雄に頼む。

結婚も離婚も田岡頼み、 小林旭は 「はい」 というしかない。

ひばり母娘は、 ステージママの域を越えた存在として、 メディアは 「一卵性親子」 と呼んだ。

pict-美空ひばり 母の物語.jpg
                     ☝ 母・喜美枝。


1981年、 その母が転移性脳腫瘍により68歳で死去。
同年、 父親の代わりの田岡一雄も死亡(享年68)。

ちなみに田岡一雄自伝(昭和49年発行の初版)によると、 田岡は神戸水上署の一日署長をした経験があるという。


1982年に親友の江利チエミが45歳で急死した。
1984年には親交のあった大川橋蔵も55歳で死去した。

さらには、 実弟哲也(1983年死亡)と香山武彦(1986年死亡)まで、 共に42歳の若さで次々と鬼籍に....

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        ☝ 左側かとう哲也、 右側が香山 武彦。


弟のかとう哲也は1941年生まれ、 俳優・歌手としてデビュー。
しかし芸能界では花が咲かなかった。

哲也の不祥事は、賭博や拳銃の不法所持で逮捕された事。
賭場はなんと ”ひばり御殿” で開帳していたというから驚き。

この事件で哲也が山口組系益田組舎弟頭だったことが露見。
ひばりの紅白歌合戦出演が見送られたりと、 影響大だった。


下の弟・香山 武彦は1943年6月生まれ。
中村錦之助の付け人後、 1958年花房錦一の芸名でデビュー。

その後、 芸名を香山武彦に改名、 「てなもんや三度笠」 に出演もしていた。

1982年、 芸能界を引退 → 飲食店を経営。
1986年、 心不全のため、 兄哲也と同じく42歳で死亡。

両兄弟、 偉大過ぎる姉を持つと苦労もあったろうか。

ということで、 田岡組長や友人、 肉親3人を亡くした1980年代、 ひばりにとって悲しくも寂しい時代となる。


1989年、 元号が 「昭和」 から 「平成」 に変わった1月、 最後のシングルレコード 『川の流れのように』 が発売される。

ひばりの最後のステージが1989年2月の九州厚生年金会館。
満身創痍の舞台、 気力だけで歌い上げた。

1989年6月、特発性間質性肺炎などで死去(享年52)。
亡くなってから間もなく30年、 光陰矢の如し。

   pict-88年、東京ドーム.jpg

               * *

美空ひばりの家族は、 父増吉、 母、 妹、 弟2人の5人。
ひばりの死後、 残されたのは妹ただ1人。

その妹がひばりが亡くなった4年後、 1993年にプロ歌手になる。
佐藤勢津子はひばりより1歳下、 55歳の歌謡界デビューだ。

  pict-佐藤勢津子.jpg


これまで全く芸能界に縁のなかった妹・勢津子は、 80歳を超えた今も元気に唄っているようだ。

シングルは、 「雨」、  「風待月」、  「砂丘の宿」、
「道草酒場」(1995年4月発売)の4曲あり。

1995年以来新曲がないということは、 ヒットしなかったということだろう。

では佐藤勢津子が唄う 「川の流れのように」 をどうぞ!
美空ひばりの家族全員が揃った写真が見られますよ。

さすがに姉妹、 声がひばりに似ていると思う。
                  ☟
https://www.youtube.com/watch?v=RbzDH1Ri5bA



「本当に、 人生って、 川の流れのようなものよね。

まっすぐだったり、 曲がりくねっていたり、 幅が広かったり、

狭かったり、 流れが速かったり、 遅かったり.....」

                          美空ひばり




チェンマイって ホントいいですね!






posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 09:57| Comment(2) | バラエティー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする