2018年07月19日

独居老人の生活1244(#11とんでる女の今昔物語:女の意地か?)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1244
           (#11とんでる女の今昔物語:女の意地か?)


  カチューシャかわいや わかれのつらさ 

  せめて淡雪 とけぬ間と 神に願いをかけましょか

                                          作詞 : 島村抱月


和田 勉は1930年(昭和5年)生まれ。
元NHKのディレクター、 プロデューサーで、 演出家・映画監督として一世を風靡。

NHK入局の同期には、 ご存知・磯村尚徳がいる。

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            ☝ 和田勉。


和田勉という方は正直な人だと思う。
助平というのが顔にハッキリ出ているから。

”とんでる女の物語” になぜ和田勉が登場するのか?
それは1人の女性によってぶっ飛ばされたからである。


和田勉が72歳の2002年、 東京の私立大学からゼミの講師として招かれた。
この時、 教え子の女子大生に猥褻行為をする。

和田勉は女子大生をホテルの部屋に誘い、服を脱がせ、 セクハラ行為に及んだのだ。

彼は提訴され、 控訴審まで争うも2004年に敗訴が確定。
東京高裁は200万円の支払いを命じた1審判決を変更、 賠償額を270万円に増額した。

和田勉は、 女性側の謝罪要求に対し
「あわてるこじきはもらいが少ない」、 「アホ」 などの暴言を吐く。

裁判長はこれも1審同様に侮辱行為と認定して70万円を増額。
全く反省のない和田勉であった。

               * *

和田勉と作家・松本清張の対談で、

松本 : 「和田さん、 君はいいねえ」
和田 : 「どうしてですか?」

松本 : 「新人女優には、その、 一回アレしてからテレビに出す
     んだろ?」

和田 : 「昔の映画界じゃあるまいし、 今はそんないい話はあり
     ませんよ」

しかし和田勉は、 実際にセクハラをやっていたといわれる。
で、 女子大生の柔肌が欲しくなり、 ホテルに誘い込んだわけだ。

おそらくこう言って。 「女優にしてあげるよ」
あるいは 「NHKに就職させてあげるよ」

叶えてやれば良かったものを、 後は知らん顔したのだろう。
やられた女子大生はとんでる女、 意地がある。

「ふざけんな、 エロジジイ!」 てな感じで訴えたのか。

和田は猥褻事件後、 公に出ることはほとんどなかった。


2011年1月、 食道がんのため川崎市の老人福祉施設で死去
(享年80)。

晩節を汚した有名人の典型となって昇天。

               * *


和田勉演出の作品に『風雪』 第63話 「女優須磨子」 がある。
1965年のNHKドラマで、 原知佐子主演。


女優・松井須磨子(明治19年生まれ)は、 日本の新劇女優。
今の長野市松代町出身、 士族の五女として生まれる。

1903年、 17歳で最初の結婚、 しかし1年で離婚。

この頃、 俳優養成学校入学を希望したが面接で不合格。
鼻が低くて顔全体の印象が平坦、 女優向きじゃないと....

ここで諦めないのが松井須磨子、 当時の最新技術、隆鼻術(整形手術)を受ける。
現在のシリコーンではなく、 鼻筋に蝋を注入するもの。

蝋(ろう)は軟らかく、 鼻筋からずれることが多かった。
その度に手で押さえたり、 冷たい手拭いで鼻を冷やす。

てなことで、 「日本初の整形美人女優」 が誕生したわけだ。
いやはや女優さんも楽じゃない。

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             ☝ 松井須磨子。

              * *

1908年、 22歳で同郷の男と2度目の結婚 → 1910年離婚。

1911年、坪内逍遥の文芸協会がイプセン原作 『人形の家』 を上演。  須磨子が演じた主人公ノラが異常な反響を呼ぶ。

その頃須磨子は、 早稲田大学教授・島村抱月(当時42)に夢中。
大学近くの抱月の下宿に押しかけ逢引きを重ねる。

この時代、 マトモなコンドームは普及していなかった。
2人はどうやって避妊してたのか、 興味あるのだが......

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        ☝ 島村抱月。


抱月は1902年(明治35年)から3年間、 早稲田の海外留学生としてオックスフォード大学(英)とベルリン大学(独)に留学。

帰国後は早稲田大学文学部教授となり、 坪内逍遥とともに文芸協会を設立(明治39年)。

早稲田の看板教授・抱月も女には初心(うぶ)、 バツ2の須磨子に翻弄された。

須磨子は、 抱月に妻子(1男3女)がいようが関係なし。
本妻は戸籍上の妻、 私は心の妻よとばかりに情炎は燃え上がる。

この不倫はたちまち噂に....坪内逍遥の怒りを買う。
で、1913年、島村抱月(須磨子より15歳上)と芸術座を旗揚げ。

大正3年(1914)、 帝国劇場で上演された 『復活』(トルストイ原作、 抱月脚色)のカチューシャ役で人気女優となった。

須磨子が歌った主題歌 『カチューシャの唄』 (島村抱月作詞・中山晋平作曲)のレコードが大ヒット、 2万枚以上を売り上げる。

こうして 「日本初の整形女優」 に加え、 「日本初の歌う女優」 が誕生。

ではカチューシャの唄、 松井須磨子でどうぞ(2分34秒)。
                 ☟
https://www.youtube.com/watch?v=TiMpE83f8GM

                * *

1918年、 スペイン風邪で抱月があっけなく死亡(享年48)。
この風邪は、須磨子からうつされたといわれている。

すると松井須磨子は2ヶ月後の1919年1月、 現・東京都新宿区にあった芸術倶楽部の道具部屋で首吊り自殺(享年33)。

人気女優の死である、 「恋人を追っての殉死」 として騒がれた。


後年、 抱月の妻は新聞記者のインタビューでこう語る。

「島村の葬式の時、 須磨子は若い人と大声で談笑、 悲しんで
 いるようには見えなかった。
 須磨子が夫のために死んだとは思えません」

須磨子は夫を利用していただけ...こう言いたかったのだろう。


    pict-松井須磨子.jpg
             ☝ 松井須磨子。


真相はどうであれ、 人気女優・松井須磨子はとんでる女、 33歳で抱月のいる冥土へと飛び立った。


整形美人女優の須磨子、








老醜を曝さずに済んで何より。


チェンマイって ホントいいですね!




posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 12:05| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする