2018年07月06日

独居老人の生活1234(#28忘れられない旅の思い出:エジプト・シナイ半島後編)


今回でちょうど1234作目、 順番に数字が並ぶのはこれが最後。

12345回に達する迄には、 今のペースなら約37年かかるわけで、 これは不可能。
37年後 → ジジイは110歳、 とっくに地獄に落ちてます。

                 * *

今回は、 一昨日(前編)の続きです。
前編をお読みでない方は、 そちらから先にどうぞ!


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1234 
             (忘れがたい旅の記憶‐28:シナイ半島後編)


  1.私の他に神があってはならない
  .偶像を造ってはならない
 
  3.神の名をみだりに唱えてはならない
  4.安息日を設け、聖なる日としなさい

  5.父と母を敬いなさい
  6.人を殺してはならない

  7.姦淫してはならない
  8.盗んではならない 

  9.隣人について偽証してはいけない
  10.隣人のものを欲してはならない
                                       (十戒)

pict-十戒モーゼ.jpg


絵にも書けないような美しい風景を眺めて、
「ああ〜素晴らしい!」 と、 感動する。

でも生涯残る旅の記憶は、 思いがけない出来事にあると思う。

独居老人の 「忘れがたい旅の思い出・Top‐10」 をシリーズで
お届けしております。
                 * *

Top-10:シナイ半島後編。

pict-DSCN4043シナイ半島地図2.jpg


カイロ観光を終えた我々一行はバスに乗り、 北東にあるスエズ運河橋(アル・サラム橋)を目指す。 (地図はココをクリック)

バスにはエジプト人の警官が同乗、 旅の最後まで我々を警護してくれた。
その頃ツアー客を狙うテロが発生、 観光立国エジプトに大打撃。

しかし警官1人の乗車、 テロに襲われたら一溜りもないかも。
それでも安心感を与えてくれる....感謝した。

車中ではエジプト人ガイドがギャアギャア延々と喋り続ける。
バスの音響装置が悪く、 耳にガンガンきて苦痛そのもの。

耳栓がないので、 仕方なくティッシュを詰めるがそれでも煩い。
エジプトの歴史・政治まで入り、 終わればT-シャツの販売だ。

日本人は、 1枚1,500円もするT-シャツを半数が買っていた。
勿論ジジイも元上司も購入せず、 高値でバカバカしい。

このガイドさんは仕事熱心、 しかし程度というものがあろう。
バスの中では逃げ場がない、 往生したのはジジイだけだった?

                 * *

スエズ運河橋を渡り終えた我々一行は、 ここからシナイ山の麓に位置するセント・カテリーナ修道院に向け南下する。
    (地図はココをクリック)

古代エジプト人は、 シナイ半島を経由してパレスチナやシリア方面に進出したり、 逆に侵入を受けたりした。

シナイ山は標高は約2300mで荒涼とした岩山。
モーセが出エジプトの命を受け、 十戒を授かった地とか。

セント・カテリーナ修道院は527年から565年の間に、 皇帝ユスティニアヌス1世の命により建設された由。

ユネスコの世界遺産に登録されている。

pict-DSCN0882.jpg
        ☝ 修道院をバックにジジイ(当時58歳)。

                 * *

観光はセント・カテリーナ修道院の見学だけではなかった。
シナイ山頂でご来光を拝むという....つまり登山。

  pict-DSCN0883.jpg
         ☝ ジジイの後ろがシナイ山。


日の出など、 どこで見ようが同じではないか。
深夜2:00出発という。

寒い中、朝早くに起きて登山などキチガイ沙汰。

ラクダに乗れば山頂近くまで行けるから...とは言うが、 ジジイは
真っ平御免。 

御年72の元上司は嬉々としてホテルを出発した。

pict-DSCN0885ホテル.jpg
         ☝ 宿泊したコテージ風のホテル。


ご来光から戻って来て彼らは言う。
下山中に転んで怪我した、 カメラをぶつけて壊した等々。

老人にはかなりキツいシナイ登山だったようだ。

ジジイの説明はこれくらいにして、 あとは省略。
シナイ山と聖カテリーナ修道院の説明はこのブログでどうぞ。
                ☟         
http://isekineko.jp/egypt-sinai.html

                 * *

では忘れられない旅の思い出とは何なのか?

シナイ山でも世界遺産の修道院でもない。
それはスエズ運河橋での出来事だった。

スエズ運河橋(アル・サラム橋)は、 ムバラク平和橋、 またはエジプト-日本友好橋と呼ばれ、 運河を横断している道路橋である。

pict-スエズ運河橋4.jpg


運河橋は、日本政府からの支援の下に1998年に着工 → 2001年10月に開通。
高架部の施工を請け負ったのは鹿島建設、 日本鋼管、 新日本製鐵によるコンソーシアムである。

建設費の60%(135億円)を日本が支援、 残り40%(90億円)をエジプトが負担。

橋は運河上70 mの桁下高さ、 幅10m、 全長は3.9 km。
まさに日本/エジプト・友好の架け橋と言える。

開通式にはムバラク大統領や政府閣僚が出席し、 日本からは
橋本龍太郎元総理らが出席。

pict-スエズ運河橋3.jpg

                * *


その橋を渡ったことが思い出なの?
それ以上に、 橋の上を走らされたのである。

カイロ出発の前日、 日本人ガイドがこんな事を言った。

「明日はスエズ運河橋の開通3周年記念マラソン大会があります。
 どうしても日本人に走って貰いたいとの要請がきております。

 ちょうど我々一行がタイミング良く橋を通りかかり.....
 で、ご協力をお願いします、 皆さま方だけですから」

で、 我々は橋(川の上)のど真ん中でバスから下される。
そして地元学生らと一緒に出走することと相成った。

pict-DSCN0830マラソン.jpg
        ☝ ジジイ(左)と元上司(当時72歳)


横にいた女の子2人に、 「しっかり走ってね」

「あたし、 下痢が酷くて....歩きます」  と1人が答える。


  ならばとジジイは走る。
pict-DSCN0881マラソン.jpg
                    ☝
     記念写真を...と言うので、 ちょっと走っただけ。

とその時、 前方から1人の女性が凄いスピードで走って来る。
すれ違いざま、 彼女はジジイに声をかけた。

 「無理しないでくださいね」

ハイ、 ジジイはすぐに歩いたことは言うまでもない。
彼女は橋の半分を駆けてU-ターン、 スタート地点に戻る。

その声の主はマラソンランナーの谷川真理さん(当時41歳)。
資生堂に所属、 1991年11月の東京国際女子マラソンでは優勝。

   pict-谷川真理3.jpg


親善マラソン終了後、 我々はレセプションに参加(させられた)。
壇上にいるのは美女ランナー・谷川真理さん(矢印)。
               ☟
pict-pict-DSCN0831.jpg



参加者全員に、 表彰状とT-シャツのプレゼントあり。
  そのT-シャツがこれ。
pict-DSCN3956Tシャツ.jpg



  背中にはこんなデザイン。
pict-DSCN3958.jpg
                  ☝ 
  サッカーの(アフリカ)大陸選手権が開催されたのかも。


てなことでジジイはスエズ運河橋の半分を駆け抜けた。

突然の友好親善マラソン大会に出場、 これが忘れられない旅の
思い出になる。

交通遮断された橋を悠々と走る(歩く).....実に気分爽快。


えっ、 あの女の子2人とはどうなった...ですか?








 な〜んも ありませんでした。


チェンマイって ホントいいですね!





posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 10:43| Comment(6) | 旅の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする