2018年02月28日

独居老人の生活1125(2月の独居老人食卓日記)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1125(2月の食卓日記)


   君の値打ちを楽しもうと思ったら、

   君は世の中に価値を与えなければならない。

                                    ヨハン・ゲーテ (ドイツの作家)


今日は2月末日、 外食の多いジジイだが、 ではどのくらいレストランで食べたのか、 2月を振り返って勘定してみた。

今日28日の2回分(昼夜予定)を含め、 2月合計51回の外食。
内訳は、 朝食12回、 昼食20回、 夕食が19回である。

ジジイは1日朝昼晩、 きっちり3回食べている。
となると2月合計で、 3食 X 28日 = 84食。

外食率は、 51食 ÷ 84 = 61%。 
昼食・夕食だけでは、 39 ÷ (84−28)= 7割が外食だ。


ではどんなレストランに行ったのか、 2月後半で主だった処を
ピックアップ、 どうぞご覧なってください。 
   (注) 週に1回通うレストランは除外。

                 * *

2月18日(日) 和食店 「NARUTO」、 ランチ。 

場所は Meechok Plaza内にある。
(Street Viewはココ、 地図はココをクリック)

   店内
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注文は、 サーモン刺身149B、 冷奴59B
Beer Chang大瓶:80B。
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                  * *


2月19日(月)  海鮮 「皇家御」  夕食。

場所はチャンクラン通り、 「Art of Paradise」 の前。
  (ココをクリック)

   看板
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  広い店内。
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  でもテラス席がいい。
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  ギターの弾き語り。
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串焼きなどは25バーツ/串からある。
Beer Chang大瓶:90バーツ。 
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                 * *


2月21日(水)  「P.P Buffet」。  夕食。

場所は旧市街(堀の内)、 西側内堀通り沿いやや南寄りにある。

七輪を使って焼いたり煮たり。 (地図はココをクリック)

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  バフェ:189B/人、 Beer Chang大瓶:70B。
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  Buffet。
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  食材は肉から海鮮まで豊富にある。
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  これは鉄板焼き。
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こちらは鍋(ポット)料理。
鉄板と鍋の両方がセットされている。
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                * *


2月22日(木)  屋台の串焼き。  夕食(自炊)

チェンマイのセブンイレブンの前、 夜には屋台をよく見かける。

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  値段は10バーツ/串がメイン。
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4串(40B )購入、 持ち帰って自宅で食べる。
右の野菜は、 人参だけが漬物(友人からの貰い物)。

キャベツ、 ブロッコリー、 キュウリなどを添えて・・・
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美味しくてこれで十分満足、 自炊は節約できる。

                 * *


2月23日(金)  「サムライキッチン」   夕食。

全品59バーツの店。  (場所はココをクリック)

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  下はジジイが食べる分じゃない。
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  この若者が注文、 全部平らげた。
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彼は東京から貧乏旅行でタイに来た大学生。
日本に住む友人の教授からメール。

「教え子にご馳走してやって欲しい、 費用は後で払います」

で、ジジイが、
「教授の奢りです、 好きなだけ食って行ってください」

大学生はタイ滞在中、 マトモな物は食べていなかったという。
それにしても若者の食欲はすごい、 よくぞこれだけの炭水化物が腹に入るもの。

ここでの食事の後、 その足で9時半の夜行バスに乗車、 バンコクへ移動、 翌日帰国するという。

チェンマイの宿泊は100バーツ/泊の安宿。
カネがないので、 バスターミナルまでは徒歩(1時間)で行く。

テーブルの下には大きなバックパック。
同席していた友人が憐憫の情を出した。

500Bを学生に寄付、 「ソンテウに乗って行きなさい」 と...

                 ☟

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        ☝ 嬉しそうな大学生と友人(76歳)。


若さというのは羨ましい。
ジジイが重いリュック背負って1時間歩いたなら、 行き倒れであの世行きだわ。


                 * *


2月24日(土)  店名不明。  夕食。

テスコロータス・カムティアンの南側、 若者に人気の店。
  (場所はココをクリック)

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着いた時間が8時前でまだ静か、 ここは深夜まで賑わう。

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 テラス席で夜の灯りに照らされて飲む・・・イイね!
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注文は、 チキン:59B、 グリルポーク:59B、 貝:99B。
Beer Chang大瓶がポー(3本セット)で150B(50B/本)。

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     ☝ ライブも入って現地の若者に人気の安価。




この店の隣も同様の店で、 ジジイが行った時にちょうど演奏中。
驚いたのはバンドメンバーの若いこと。

  高校生のバンドかな?
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音楽でちょっと騒々しい雰囲気だが、 ご老人もたまにはどうぞ。


                * *


2月26日(月)  和食 「屋台ラーメン」   夕食。

店名に ”屋台” と付いているが普通の店。
場所はマーキュリーホテルとTopsの間にある。
   (地図はココをクリック)

  店内
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  サーモンサラダ:139B、 カニカマ:69B。
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  鯖の塩焼きセット:139B。
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ビールは置いてない、 お隣の 「Tops」 で購入して持ち込み。
で、 ジジイはTopsに買いに行く。

ビールのついでに何気なくリンゴも購入。
あとでレシートを見て愕然、 こんなリンゴがチェンマイに?

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         ☝ 6個入りで239バーツ(約40B/個)


余りに高過ぎる。 
返却しようかと迷ったが、 みっともないので持ち帰った。  


                 * *


2月27日(火)  和食惣菜を買って自宅で自炊。  夕食。

惣菜は 「大阪のおかん」 で購入。 (場所はココをクリック)

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          ☝ 彼女が大阪のおかんです。




コロッケ:20B、 青い野菜の煮つけ:25B。
友人Tさんから貰った燻製ポーク。

茄子とネギの塩焼き(手料理)に生姜を刻んで....

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             ☝ 
   こうやって自炊してこの日も倹約。



こんだけ節約してるのに 「Tops」 で買ったあのリンゴ。

身分不相応もいいとこ、 1個40バーツ(140円)もする高級品。
返品しとけば....と後悔、 自分に腹が立つ。


よし、 味わって食って....惜しむことなく出してやる!










   クソー!!!


チェンマイって ホントいいですね!





posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 13:23| Comment(10) | 食べる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月27日

独居老人の生活1124(#10とんでる女の今昔物語:女の幸せは?)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1124
            (#10とんでる女の今昔物語:女の幸せは?) 


   女が再婚するときは、
   先夫をひどく嫌っていたからである。

   男が再婚するときは、
   先妻を熱愛していたからである。

                             オスカー・ワイルド (イギリスの作家)



柳原 白蓮は1885年(明治18年)生まれ。 本名はY子(あきこ)。

大正から昭和時代にかけての美貌の歌人。
父は柳原前光伯爵で、 Y子は妾腹の子として生まれる。

叔母が大正天皇の生母である柳原愛子。
てことは、 Y子は大正天皇の従妹にあたる。


 最初の結婚は15歳の時。 
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   ☝ 16歳の時の柳原白蓮(Y子)。


相手は柳原家とは遠縁の子爵の子で、 7歳年上の北小路資武。

因みに彼は離婚後、 詐欺・恐喝罪で逮捕されている(昭和8年)。

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        ☝ 北小路資武。


Y子は13歳から通学していた華族女学校(現・学習院女子中等科)を中退、 16歳で長男を出産。

しかし暴力をふるったり女中に手を付ける夫には愛情も無く、 Y子の孤独感は深まるばかり。

結婚5年後に、 子供は残す条件で離婚が成立した。
Y子の子・北小路功光とは、 親子の情愛はなかったという。

功光は後に歌人として歌集を出しているが、 テーマは母柳原白蓮への愛憎が多い。

彼が81歳の時に受けた取材で、 功光は白蓮を 「あの女」 と呼んだほど。

白蓮の最初の息子・北小路功光は1989年に死亡(享年87)。

               
離婚のあとY子は、 東洋英和女学校に23歳で編入学し、 寄宿舎生活を送る。 
この頃、 佐佐木信綱主宰の短歌 「竹柏会」 に入門。

                * *

1911年(明治44年)、 Y子(当時25歳)は九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門と結婚。

伝右衛門は51歳、 炭鉱労働者からの叩き上げで学問はなく、妻を亡くした直後であった。

当時、 「華族の令嬢が売物に出た」 と話題に.....


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    ☝ 伊藤伝右衛門と柳原Y子。


               * *


結婚後、 Y子は伊藤家の複雑な家族構成を思い知る。
妾との間にできた娘やら、 養嗣子とその弟等々がいた。

成金の夫伝右衛門は、 Y子への愛情はなかったようだ。
伊藤家は ”家柄”、 柳原家は ”カネ” を欲した政略結婚。

チェンマイの爺さんが若い女の柔肌を求め、 タイ人女性はカネを欲する構図に似ている。


伝右衛門は柳原家への金銭的援助を惜しまず、 Y子の言うことは何でも聞いてくれる。 彼女は贅沢三昧の生活を送った。

しかしそんな結婚生活でも心は満たされない。
懊悩・孤独の日々、 Y子はひたすら短歌に託す。
pict-飯塚市幸袋の旧伊藤伝右衛門邸。2階がY子の居室.jpg
                 ☝ 
    飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸。 2階がY子の居室。


              * *


大正8年、 Y子(白蓮)が34歳の時に宮崎龍介と出会う。

龍介は7歳年下の27歳、 孫文を支援した宮崎滔天の長男。
東京帝国大学法科の3年に在籍し、 労働運動に打ち込んでいた。

Y子は福岡(現在の飯塚市)の生活から逃避したかったのか。
それは宮崎龍介への愛情に変わる。

1921年(大正10年)、 Y子は龍介の子を身籠った。
そして姦通罪のあったこの時代に命がけの駆け落ち。

これぞまさしく大正の ”とんでる女” と言えよう。

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       ☝ 当時の報道。


Y子は夫に対し新聞紙上(大阪朝日)で公開絶縁状を出した。

 「私は金力を以て女性の人格的尊厳を無視する貴方に
  永久の袂別を告げます」

これが大スキャンダルに...世に言う白蓮事件である。 
Y子36歳、 龍介29歳であった。

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    ☝ 大正10年、 事件当時の2人。


事件から4年後、 Y子は家族の身分を除籍され、 宮崎龍介と3度目の結婚を果たす。


つまりY子の過去2度の結婚は、 彼女の自己を無視した厭々。
股は開いてみせたが、 心は全く開いていなかった。

これじゃあ亭主は堪らない。  抱いてる女がマグロでは....

男同士の関係は、 ウマが合って初めて親しい交遊に進展。
男女の関係は、 肌が合ってこそ仲睦ましくなるもの。

Y子にとって生まれて初めて、 股も心も開いた相手、 その男が
宮崎龍介だったのだと思う。


              * *


その後Y子は、それまで経験した事のない経済的困窮に直面。

弁護士となっていた龍介は結核が再発して病床に伏し、 宮崎家には父滔天が残した莫大な借金があった。

Y子は小説を書き、 歌集を出版、 講演の依頼も引き受け、 龍介が病床の3年間、 Y子の筆一本で家計を支える。

尚、 龍介の18年に及んだ結核は1931年(昭和6年)頃に完治している。


  龍介との間には2人の子に恵まれる。
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                ☝ 
  左からY子、 蕗苳、 龍介、 香織。 (昭和5年)


早大生3年だった香織は学徒出陣し、 鹿児島で空襲に遭い戦死(享年23)。  1945年のこと、 終戦のわずか4日前であった。


長女・宮崎蕗苳(ふき)は華道家に.....
息子(宮崎黄石)と共に柳原白蓮に関する活動もやっている。

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        ☝ 白蓮の娘・蕗苳とその息子。

              * *


戦後の白蓮は 「悲母の会」を結成(昭和21年)、 平和運動家として情熱を傾ける。

更にこの 「悲母の会」 を世界連邦運動婦人部へと発展させた。

白蓮が68歳の1953年(昭和28年)、 世界連邦婦人部部長としての講演会で、 出奔事件以来32年ぶりに九州・福岡の地を訪れている。


白蓮は76歳の頃、 緑内障で徐々に視力を失う。
晩年は、 夫・龍介の介護のもと、 娘夫婦に見守られ、 歌を詠みつつ暮らした平穏な日々だった。

               * *

龍介は白蓮の死後、 『文藝春秋』 に回顧録 「柳原白蓮との半世紀」 を寄稿(1967年)。

Y子について以下のように述べている。

「私のところへ来てどれだけ私が幸福にしてやれたか、 それほど自信があるわけではありませんが、 少なくとも私は、 伊藤や柳原の人々よりはY子の個性を理解し、 援助してやることが出来たと思っています。

波瀾にとんだ風雪の前半生をくぐり抜けて、 最後は私のところに心安らかな場所を見つけたのだ、と思っています」


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    ☝ 若かりし頃の美しい柳原白蓮。
      

当時では珍しい離婚歴2度の姉さん女房・白蓮を最後まで支えた宮崎龍介、 男気のある人物だったと思う。

華族の家柄と炭鉱王の妻、 そんな身分や巨大な富を捨て、 恋を貫いた柳原白蓮。

そこで初めて、 真の幸せを勝ち得たといえるだろう。


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    ☝ 幸せな晩年を送る柳原白蓮。
      美女も年とりゃみな婆さん。


”とんでる女” の生涯は波乱万丈、 しかし終焉を迎える。

白蓮事件から46年後、 白蓮は1967年(昭和42年)2月、 心臓衰弱のため西池袋の自宅で死去(享年81)。 

その4年後の1971年(昭和46年)、 宮崎龍介は心筋梗塞で白蓮の後を追う(享年78)。



乏しい年金生活者のジジイは、 声を大にしてチェンマイの女性に
言いたい。


世の中、 カネだけじゃないぞ!



一番大切なこと....それは愛なんだ。










どの女も耳を貸さネー。  爺さんはカネだけか。


チェンマイって ホントいいですね!




posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 12:13| Comment(8) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

独居老人の生活1123(#9とんでる女の今昔物語:養女)


チェンマイ独居老人の華麗なる生活1123
                  (#9とんでる女の今昔物語:養女)


    男の色気は年齢に関係ないのよ。
                                             岡本敏子


岡本敏子は画家・岡本太郎の養女だが、 実質的な妻であった。
東京女子大学卒業後、 出版社に勤務。

後に岡本太郎主催 「夜の会」 で太郎と親しくなり秘書になる。

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瀬戸内寂聴が2011年放送のNHK BSプレミアムの中で語った。

『太郎さんの遺産相続の際に ”妻” では数分の一が太郎の
 異母兄弟に行ってしまう。
 養女になれば100%敏子さんのものになる。
 太郎さんの遺作品を管理できるのは敏子さんだけ』 


岡本敏子は、 岡本太郎死去(享年84)から9年後の2005年、
自宅の浴室で心不全のため死去、 享年79。

敏子は太郎の死後、 彼の作品を監修して評価を高めた ”とばない女” であったといえる。

                * *


俳優・高倉健の本名は小田剛一 (おだ たけいち)。

2014年11月、 悪性リンパ腫との闘病の末に死去、 享年83。


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彼の死後、 突如として出現したのが養女。
それも高倉健が死亡する半年前に入籍、 とんでる女・小田 貴(現在54歳)である。

入籍の申請書類には、 父娘それぞれの氏名などを記す。

だが、 本名の剛一のふりがな欄にはゴウイチ。
タケイチと正しく書かれていなかった。

正式な入籍書類で、誰が何故そんな間違いを起こしたのか。
親族たちは合点がいかず、 首を捻ったという。

               * *

養女・小田 貴とは何者か?

1964年1月生まれで現在54歳。
戸籍上は養女、 しかし実際は恋人(パートナー)。

彼女の本名は河野 貴、 東京都出身。
芸名・貴倉良子(後に貴倉涼子に改名)、 女優、 タレントだった。

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彼女はホテルジャーナリストとしても活動した時期がある。

2人の出会いは健さんが60歳の頃、 場所は香港のペニンシュラホテルといわれている。

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       ☝ 妖艶なる貴倉良子。


彼女も仕事で香港に滞在していたのだろう。
高倉健を見かけ、 彼女から近づいたとか。

付き合い始め、 その後18年ほど一緒に暮らし、 健さんの晩年を支える。
そして高倉健の最後を見届けた唯一の人となる。


しかし健さんの死後、 彼女は驚くような行動をとる。
その死を親族にも知らせず、 不可解なことに死後2日で火葬してしまう。

高倉健の実妹をはじめ6人いる甥姪たち近親者でさえ、 1度も養女とは会っていない。

実妹が、 遺骨を分けて欲しいと頼むと、 養女は
「遺言で散骨してくれといわれたから」 と断わってしまう。

「それでは遺品でも....」 こう頼む実の妹、 それも無視。

生前、 死んだらここへ入ると高倉が言っていた鎌倉霊園の墓地を更地にしてしまう。

高倉健が残した世田谷区瀬田の豪邸もあっさり解体、 そこに家を新築した。

そうまでして高倉健という俳優が生きた痕跡を消していく。

誰もが疑問を感じてしまう養女のやり方。

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40億円以上といわれる遺産をすべて相続した養女・小田 貴は、 高倉健の著作権を管理する高倉プロモーションの社長に就任。

高倉健の遺産は養女1人が独占、 全てを取り仕切っていく。


ここで参考までに相続の順位を.....

第1位:被相続人の子や孫などの直系卑属。
第2位:被相続人の両親や祖父母などの直系尊属。
第3位:被相続人の兄弟姉妹や甥・姪。

上位の順位者がいる場合は、 下位の順位者には相続権なし。
例えば、 高倉健に子供がいれば、 その両親や兄弟には相続権がないということ。

健さんの妹や親族は当てにしていた遺産が貰えず、 さぞかしがっかりしただろう。


まさに遺産丸ごと分捕った ”とんでる女” 小田 貴。
18年間の同居生活の成果なのである。

不動産と金融資産を合わせた遺産が40億円なので、1年当たり
換算で、 40億円 ÷ 18年同居 = 2億2千2百万円/年。

養女の同居料は、 1日あたり約61万円の勘定になる。

”とんでる女” ....色香で上手いこと、やったもんだわ。


では健さんを偲んでくださいませ。 
ヒット曲 「唐獅子牡丹」 (3分43秒)
                 ☟
https://www.youtube.com/watch?v=LmzVr4W_p1s



養女小田 貴は高倉健より33歳も年下。
2人が知り合った頃は健さん60歳、 20代の彼女に入れ込んだ。

そう、 あの健さんでもジジイと変わらない。
若い美女には弱いのだ。









ジジイにもカネ・財産があったら..


チェンマイって ホントよくなるんだけど.....

  <後記>
次回は高倉健の養女とは対照的、 高貴な身分や巨大な富を捨てた ”とんでる女” の物語です。  明日(予定)をお楽しみに....




posted by チェンマイ華麗なる独居老人 at 12:20| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする