チェンマイ独居老人の華麗なる生活‐88(食通・前編)
新しいご馳走の発見は
人類の幸福にとって天体の発見以上のものである
快食、快眠、快便、この三位一体が健康のバロメーターであり、我々はこのリズム感で快適に生きている。
食は一日三食が一般的、健啖家はあの店はこれが美味しかった等と話題にする。
Gourmet、即ち食通の人は、食に関する薀蓄を披露したりする。
食材、料理方法、味、香り、食器、盛り付け(見場)、雰囲気等、そこでは快食のための工夫、腐心がなされている。
そして楽しい語らいの場としての食事がそこにある。

快食に対する快便だが、どこか後ろめたい感があるのか、話題にするにも憚る傾向がある。 臭い物に蓋か。
だから便通の人が快便に関して知識を披露する事は殆んどない。
そもそも便通と言うと、お通じつまり排便を意味してしまう。
食通の人は美食家とも言われるが、便通の人は美便家、こんなの聞いたことがない。
これは言葉における差別である。
食に比べ、便は趣に欠ける。
大概便は1日1便、中には週に1便という出し惜しみする人もいる。
食事のようにワイワイ・ガヤガヤお喋りしながら楽しむ事はない。
たった一人、白い便器にウンコを垂れるだけ。
楽しむとは反対に、便秘の人はウンウン苦しんでの脱糞。
切れ痔の人はケッチャップを食ったからではない、血便で痛い思いをする。

こんなトイレは稀有、でも美女と一緒にするウンコも乙なモノ。
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神は容貌に美醜の差を与えた事を恥じ、美女も醜女も等しく排便するものとされた。
昔デカンショ節で歌ったものだ。
”美人美人と 威張るな美人 ハ、ヨイヨイ
美人屁もすりゃ 糞もする
ヨーイヨーイ デッカンショ”
糞するのは醜女だけではない、神の叡智の賜物。
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この日行ったのはカフェー、友人からスマホのスキルを教えて貰う。
場所はお堀外の西北の角から北に100m行った左側にあるガーデンカフェー。 北タイ情報紙「Chao」の地図(E‐2)
コーヒー(アメリカーノ)50バーツ。
この日はスマホによるネット接続方法を習得。
これでスマホでタイ・ブログランキングも見ることが出来るようになった。
スマホ画面に出て来る文字盤の小さいこと、直ぐに隣の文字を触ってしまい何度もやり直す。
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思春期の独居老人は、吉永小百合はオシッコもウンコもしないと信じていた。
熱狂的サユリストのジジイにとって、彼女は女神、ウン上人。
今でも信じたくないが、間違いなく吉永小百合もウンコを腹に隠して生きている。

チェンマイに来て憤慨した事は、風俗マッサージパーラーの店名に「さゆり」があったこと。
あの純情可憐、穢れ無き吉永小百合の名をよりによって・・・・・。
ジジイは抗議に行きたいが、店に入って藪蛇、ガラス越しのあの美女とチョイとお風呂に・・・・・なんてことになりかねない。
よってマイペンライでいる。
食通と言いながら便通ばかりになっちゃたな。
チェンマイって ホントいいですね!
明日の後編に続く。タイトル通りの食通蘊蓄オンパレードです。